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中露関係(ちゅうろかんけい、中国語: 中俄关系)、あるいは露中関係(ろちゅうかんけい、ロシア語: Российско-китайские отношения)は、中華人民共和国とロシア連邦の間における相互関係であり、また両国の領土において過去400年に存在していた諸国の歴史として振り返ることも可能である[1]。
現段階において中露間の相互関係は広汎な諸分野における協調によって特徴づけられており、その協調には首脳級の集中的な接触、貿易関係、経済関係および人的関係、国際場裡における協調などが含まれており、国連安保理における活動や国際機関、あるいはBRICSや上海協力機構などの地域的機関における共同参加が挙げられる。
中国とロシアの外交関係は、ソビエト連邦の崩壊と1991年のロシア連邦の設立後に改善した。アメリカの学者ジョセフ・ナイは2015年に次のように指摘した。
ソビエト連邦の崩壊に伴い、事実上の米中同盟は終了し、中国とロシアの和解が始まった。1992年、両国は「建設的なパートナーシップ」を追求していると宣言した。1996年、彼らは「戦略的パートナーシップ」に向けて前進した。そして2001年に、彼らは「友情と協力」の条約に署名した[2]。
中華人民共和国外交部長は2005年に次のように述べた。
中国とロシアは、世界で重要な影響力を持つ2か国であり、この惑星の平和を維持して共同開発を推進する特別な責務を負っている[3]。
2012年、ロシアの対外貿易総額の10.1%が中国において占められた[4]。中国の対外貿易におけるロシアのシェアは控えめだが、重要なものであり、2012年の中国の貿易総額の2.3%を占めており、順位はアメリカ、香港、日本、韓国、台湾、ドイツ、オーストラリア、マレーシアに次ぐ9位である[4]。
ロシア(ルーシ)の諸公国と中国の初めての繋がりは、13世紀にさかのぼるものと推定できる。現在の中国領土内におけるロシア人の存在について信頼できる最初の史料は14世紀のもので、モンゴルによるルーシ諸国への侵攻に関連しており、ルーシ侵攻の結果として多くの虜囚たちがモンゴル帝国の一角を成す元朝の中国へと連行されたのである。ロシアと中国の大地は、長きにわたってモンゴル帝国の影響圏を構成する一部に過ぎなかった。16世紀のイヴァン雷帝による治世の頃には、既に二つの使節団が中央アジアとモンゴルを通過して中国へ行く経路を確保していた。シベリアにトボリスクを建設した後、トボリスクの首長が極東にコサックを派遣した。ロシア人コサックや農民は、ザバイカリエ(ザバイカル)地方と沿アムール地方に定住してアムール川沿いにオストログ(防衛機能のある植民拠点)を建設し、その数あるオストログのうち最大規模であったのが、アムール川左岸のアルバジンとシルカ川沿いのネルチンスクである。
『元史』によると、「至順」を元号に掲げた最初の年(1330年)に中国へ連行されたロシア人虜囚たちが屯田兵として国境防衛と耕作の任に充てられた。元朝政府は、大都(北京)に屯田兵を管理する特別機構を設置した[5]。大都(北京)で、ロシア人虜囚たちはハーンの親衛隊に入隊させられた。キプチャク人(キプチャクすなわちポロヴツィ人)、アス人(アスすなわちアラン人)、ロシア人の連隊が編成された。ハーン親衛隊のロシア人部隊は、「忠誠心に篤いロシア人連隊」を意味する「宣忠斡羅思衛親軍」と称された。結成当初の部隊の人数について現存する史料では確認できない。しかし、1331年の人数は明らかにされており、600人であったと記されている。
『元史』の1332年の条によると、ロシア人虜囚たちの到着が三度あったことが言及されており、その人数は一度目が170人、二度目が2,500人、三度目が30人の青壮年と103人の未成年であった。また、モンゴル人、キプチャク人、ロシア人の混成部隊の指揮官として、モンゴル人の指揮官ボヤニ(Боянь)が任命された件についても言及されている[6][7][8][9]。留意すべきは、元朝とはモンゴル人の王朝であって中国人の国家ではなく、中国の領土内にロシア人が出現したことは元朝の時代においてであり、中露関係というよりむしろ露蒙関係の枠組みで捉えるべきであろう。
その後、モンゴルが中原から追い出されてから、中国は再び国家(明王朝)を形成した。
満州族の侵入の結果、中国は再び独立を失って満州族の帝国清王朝の一部(明清交替)となった。
冷戦中、1961年に中ソが分裂した後、中国とソ連はライバルであり、世界的な共産主義運動の支配を競った。1960年代初頭に両国間の大規模な戦争の深刻な可能性があり、1969年に短い国境戦争が起こった。この敵意は、1976年に中国共産党の毛沢東議長が亡くなった後、減少し始めたが、1991年にソ連が崩壊するまで関係は貧弱であった。
2013年、中国は「新しいシルクロード」、または一帯一路構想という新しい経済イニシアチブの創設を開始した。このプロジェクトは、主に経済的つながりと協力を強化し、アジアや世界の他の地域からの投資家を誘致し、「21世紀のシルクロード経済ベルト」の創造に積極的に参加するように設計されている。このゾーンは、アジアインフラ投資銀行が重要な役割を果たす可能性のある中国とヨーロッパ間の重要なトランジット物流リンクであるため、中国から中央アジアとロシアを経由してヨーロッパに広がる。近年、中国とロシアは国境を越えたインフラの建設における協力を強化している。「重慶-新疆-ヨーロッパ」鉄道や、ロシアを通過する「西ヨーロッパ-中国西部」ルートなど、新しいユーラシアの輸送ルートも建設されている。中国北東部とロシアの極東では、両国が橋や港、その他のプロジェクトの建設を積極的に推進する。また、2020年までに中国とロシア間での2国間貿易量を2,000億ドルに増やした。
2024年7月に行われた上海協力機構首脳会議に合わせて行われた中露会談にて、ウラジーミル・プーチン大統領は現在の中露関係について「両国の歴史上最も良好な時期を迎えている」と述べた。習近平総書記(国家主席)は「中国とロシアは引き続き包括的な戦略連携を強化し、外部からの干渉に対抗し、地域の平穏と安定を共に保護するべきだ」と語った[13][14]。
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