中村家住宅 (沖縄県)
沖縄県北中城村にある民家 ウィキペディアから
沖縄県北中城村にある民家 ウィキペディアから
中村家住宅(なかむらけじゅうたく)は、沖縄県中頭郡北中城村にある歴史的建造物(民家)。国の重要文化財に指定されている。
中村家の祖先に当たる賀氏(がうじ)は豪農であり、琉球王国の官人である護佐丸が首里王府の命に従い1440年に読谷から中城城に移った時に共に移り、その近くに居を構えた。護佐丸が阿麻和利に滅ぼされた後は不遇を託つ時代が続いたが、1720年頃には地頭代[1](本土で言うところの庄屋)に任ぜられるまでになった。現在の屋敷は主屋(ウフヤ(母屋)・トゥングワ(台所))・アシャギ(離れ座敷)・高倉(籾倉)・フール(豚小屋兼便所)・メーヌヤー(前の屋・家畜小屋兼納屋)・ヒンプン(目隠し塀)・カー(井戸)で構成されており、周囲はフクギと石垣で囲まれている。
屋根の上には魔除けのシーサーが鎮座している。瓦は赤瓦が使用されており、漆喰でしっかりと固められている。なお、明治以前は竹瓦が葺かれていた(琉球王国の時代には、瓦は士族階級以上しか認められていなかったため。農民階級である中村家が瓦を用いるのを認められたのは明治も中頃になってからである)。琉球石灰岩で出来た石垣や防風林としてのフクギ、漆喰で塗り固められた重い瓦はいずれも台風に備えるための工夫である。また、屋根はアマハジ(雨端)という、屋根が庇のように出張った構造になっている。これは強い日差しと雨を避けるためのものである。
沖縄戦の戦禍を免れた貴重な家屋であることから、沖縄がアメリカ合衆国から日本に返還(沖縄返還)された当日の1972年(昭和47年)5月15日に、主屋(ウフヤ及びトゥングワ)、アシャギ、高倉(籾蔵)、メーヌヤー(前の屋)、フールが、沖縄本島の民家では初めて国の重要文化財に指定された。なお、返還以前の1956年(昭和31年)には琉球政府から重要文化財の指定がなされている。
主屋は18世紀中頃の建築とされ、鎌倉・室町の日本建築の様式が取り入れられているとされるが、随所に独自の手法が加えられている。木材にはイヌマキやモッコクが使用されている。これらの樹種は高級木材とされており、一般の使用は禁じられていた。
主屋(ウフヤ及びトゥングワ)、アシャギ〔あさぎ〕、高倉〔籾蔵〕、メーヌヤー〔前の屋〕、フール〔豚便所〕の5棟と宅地が重要文化財に指定されており(〔 〕内の建物名は重要文化財指定名称)、ほかに石牆(せきしょう)2棟とヒンプン(目隠し塀)が重要文化財の附(つけたり)指定となっている(宅地は1981年追加指定)。
前述の通り、伝統的な家屋では、風水が重要視されている。これは中国の影響を強く受けているためである。18世紀には中国で多くの人物に風水を学ばせた。またそれらの者をフンシミー(風水見)と呼んだ。首里城とその城下も四神相応の理想型を追求した配置となっている。
かつては、家を建てる際にフンシミーに良い方角・地形を見定めさせた。良い方角とは日が昇る方角である東(アガリ)であり、西(イリ)は悪いとされている。また、良い地形とは前方が低く、後方が高く傾斜している地形で、かつ前方(門に当たる部分)が南であることであるとされている。部屋割りとしては南東が最も良い位置であり、逆に北西が最も悪い位置である。中村家住宅もこのような配置となっている。具体的にはアサギや一番座(客間)が南東に配され、フール(豚小屋兼便所)が北西に配されている。
住宅は、北中城村が観光施設として有料で公開している。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.