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アメリカのプロレスラー ウィキペディアから
ロード・ウォリアー・アニマル(Road Warrior Animal、本名:Joseph Michael Laurinaitis[1]、1960年9月12日[2] - 2020年9月22日[3])は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。
ギミックの上ではイリノイ州シカゴ出身を自称し、ロード・ウォリアー・ホークとのタッグチーム、ロード・ウォリアーズのメンバーとして活躍した。日本ではアニマル・ウォリアー(Animal Warrior)と呼ばれ、ジョニー・エースことジョン・ロウリネイティス、ザ・ターミネーターことマーク・ロウリネイティスの実兄としても知られる。息子は元NFL選手のジェームズ・ロウリネイティスである。
トレーナーのエディ・シャーキーにジョージア・チャンピオンシップ・レスリングのブッカーだったオレイ・アンダーソンを紹介され[5]、アンダーソンの斡旋により1982年9月にNWAジョージア地区にてデビュー[4]。
ザ・ロード・ウォリアー(The Road Warrior)またはジョー・ローレン(Joe Lauren)をリングネームに[4]、バイカー・ギミックのヒールとしてノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区にも出場したが芽が出ず[6]、ホームタウンのミネソタに帰郷後の1983年6月、幼馴染のマイク・ヘグストランドと共に再びジョージアに登場[4][7]。ヘグストランドはロード・ウォリアー・ホーク、自身はロード・ウォリアー・アニマルを名乗り、兄弟子でもあるポール・エラリングをマネージャーに迎えたタッグチーム、ロード・ウォリアーズ(リージョン・オブ・ドゥーム)として再デビューを果たす[8]。以降、日米の各団体を転戦し、各地で爆発的な人気を獲得した。
2002年、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に武藤敬司とのコンビで出場。優勝は逸したものの、ビッグネームとしての貫禄を見せた。
ホーク死去後の2005年、WWEと再契約してスマックダウンに所属[9]。ハイデンライクと新生リージョン・オブ・ドゥームを結成し、同年7月24日にMNMからWWEタッグ王座を奪取した[10]。2006年1月17日にハイデンライクが解雇された後はシングルプレイヤーとなり、ヒールのポジションでマット・ハーディーなどと抗争するが、同年6月26日に自身もWWEを離脱、以降はフリーとなった[9]。
2007年、久々の来日が実現し、9月1日の健介office自主興行に出場。かつてホークとチームを組んでいたパワー・ウォリアーこと佐々木健介と「ヘル・ウォリアーズ」を結成し、ドゥームズデイ・デバイス(ダブル・インパクト)でVOODOO-MURDERSから勝利を収めた[11]。
2011年、ホークとのロード・ウォリアーズとして、初代マネージャーのエラリングと共にWWE殿堂に迎えられた[12]。2012年7月20日放送のスマックダウンでは久々にリングに上がり、レジェンド達と連戦していたヒース・スレイターに勝利[13]。翌週のRAW1000回記念放送にも、ボブ・バックランド、ロディ・パイパー、サージェント・スローター、シッド・ビシャス、ベイダーらレジェンド達と共に登場した。
2020年9月22日[2]、心臓発作により60歳で死去[3]。自宅での結婚記念日の祝いの直後、突然の心臓発作を起こしたことが後に確認された[3]。
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