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リタ・グランデ(Rita Grande, 1975年3月23日 - )は、イタリア・ナポリ出身の元女子プロテニス選手。グランデは2004年全豪オープンの混合ダブルスでベスト4に入り、すべての4大大会で女子シングルスの4回戦に進出した実績を持つ。自己最高ランキングはシングルス24位、ダブルス26位。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス5勝を挙げた。
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リタ・グランデ | ||||
基本情報 | ||||
国籍 | イタリア | |||
出身地 | 同・ナポリ | |||
生年月日 | 1975年3月23日(49歳) | |||
身長 | 177cm | |||
体重 | 66kg | |||
利き手 | 右 | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1990年 | |||
引退年 | 2005年 | |||
ツアー通算 | 8勝 | |||
シングルス | 3勝 | |||
ダブルス | 5勝 | |||
生涯通算成績 | 534勝571敗 | |||
シングルス | 336勝332敗 | |||
ダブルス | 198勝239敗 | |||
生涯獲得賞金 | $1,858,558 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(2001・02) | |||
全仏 | 4回戦(2001) | |||
全英 | 4回戦(2004) | |||
全米 | 4回戦(1996) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト8(2001) | |||
全仏 | ベスト8(1999・2002) | |||
全英 | 3回戦(1997・98) | |||
全米 | 3回戦(1996・2004) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 24位(2001年11月5日) | |||
ダブルス | 26位(2001年5月28日) | |||
グランデは1994年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのイタリア代表選手になり、1995年の全米オープンで4大大会本戦に初出場した。初めて予選3試合を勝ち抜いたグランデは、1回戦でイスラエルのアンナ・スマシュノワを破り、2回戦で第1シードのシュテフィ・グラフに挑戦した。1996年は全米オープンで初めての4回戦進出がある。全米オープン4回戦進出の後、グランデは日本の「ニチレイ・レディース」のダブルスでキンバリー・ポー(アメリカ)と組んでベスト4入りしたが、その準々決勝で伊達公子&杉山愛組を 7-5, 0-6, 6-2 で破っている。グランデは1998年の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」でもシングルスのベスト8がある。
彼女のテニス経歴は2001年から大きく開花し始め、この年に女子ツアーでシングルス年間2勝を挙げ、4大大会でも全豪オープン・全仏オープンの2大会連続で4回戦進出を果たした。全豪オープンの4回戦では、グランデは第1シードのマルチナ・ヒンギスに 0-6, 3-6 で敗れた。2001年全仏オープンでは3人のイタリア人選手が女子シングルスの4回戦に勝ち残り、グランデとシルビア・ファリナ・エリア、フランチェスカ・スキアボーネが勝ち進んだが、これはイタリアのテニス界を通じて史上初の偉業だった。グランデは4回戦でペトラ・マンデュラ(ハンガリー)に敗退している。2002年は全豪オープンで2年連続の4回戦進出を決めたが、ここではジェニファー・カプリアティに 3-6, 6-7 で敗れた。
2004年の全豪オープンで、リタ・グランデはマルティン・ロドリゲス(アルゼンチン)と混合ダブルスのペアを組み、初めて準決勝に勝ち進んだ。グランデとロドリゲスは、準決勝でネナド・ジモニッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)&エレーナ・ボビナ(ロシア)組に 3-6, 6-7 のストレートで敗れ、決勝進出を逃した。同年の2004年ウィンブルドンで、グランデは29歳にして初めて女子シングルス4回戦に勝ち進む。彼女はそれまでウィンブルドンは2回戦止まりの成績だったが、ついにすべての4大大会で女子シングルスのベスト16入りを決めた。そこでは第9シードのパオラ・スアレスに 6-4, 0-6, 2-6 の逆転で敗れ、ベスト8には手が届かなかった。
グランデは1996年アトランタ五輪と2000年シドニー五輪で2度、オリンピックのイタリア代表選手としても出場経験がある。
しかし2005年、グランデは右肘の故障のため出場試合数が減り、全米オープン1回戦敗退が最後の4大大会出場になる。同年10月、グランデは地元イタリア・ビエラ大会の1回戦敗退を最後に30歳で現役を引退した。
大会グレード |
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グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (0–0) |
ティア III (0–0) |
ティア IV & V (3–1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 1990年5月6日 | ターラント | クレー | シルビア・ファリナ | Elena Brioukhovets エウゲニア・マニオコワ |
6-7(4), 1-6 |
準優勝 | 2. | 1997年2月16日 | パリ | カーペット (室内) | アレクサンドラ・フセ | マルチナ・ヒンギス ヤナ・ノボトナ |
1-6, 2-6 |
優勝 | 1. | 1999年6月20日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | シルビア・ファリナ | クリスティ・ボーグルト カーラ・ブラック |
7-5, 7-6(2) |
準優勝 | 3. | 2000年1月9日 | ゴールドコースト | ハード | サビーネ・アペルマンス | ジュリー・アラール=デキュジス アンナ・クルニコワ |
3-6, 0-6 |
優勝 | 2. | 2000年1月16日 | ホバート | ハード | エミリー・ロワ | キム・クライシュテルス アリシア・モリク |
6–2, 2–6, 6–3 |
優勝 | 6. | 2000年7月16日 | パレルモ | クレー | シルビア・ファリナ・エリア | ルクサンドラ・ドラゴミル ビルヒニア・ルアノ・パスクアル |
6-4, 0-6, 7-6(6) |
準優勝 | 4. | 2000年7月23日 | ソポト | クレー | アサ・スベンソン | ビルヒニア・ルアノ・パスクアル パオラ・スアレス |
5–7, 1–6 |
準優勝 | 5. | 2000年10月22日 | 上海 | ハード | メガン・ショーネシー | タマリネ・タナスガーン リリア・オスターロー |
5–7, 1–6 |
優勝 | 4. | 2001年1月7日 | オークランド | ハード | アレクサンドラ・フセ | エマヌエル・ガリアルディ バルバラ・シェット |
7–6(4), 6–3 |
準優勝 | 6. | 2001年4月8日 | ポルト | クレー | アレクサンドラ・フセ | アナベル・メディナ・ガリゲス マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス |
1–7, 7–6(5), 5–7 |
優勝 | 5. | 2002年1月13日 | ホバート | ハード | タチアナ・ガルビン | キャサリン・バークレー クリスティナ・ウィーラー |
6–2, 7–6(3) |
準優勝 | 7. | 2003年5月19日 | マドリード | クレー | アンジェリク・ウィジャヤ | リーゼル・フーバー ジル・クレイバス |
4–6, 6–7(6) |
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
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