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落語家 ウィキペディアから
立川 只四楼(たてかわ ただしろう、本名:内藤 陽介(ないとう ようすけ)、1979年6月18日 - )は、落語家である。
<メンソールライト> | |
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丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。 | |
本名 |
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生年月日 | 1979年6月18日(45歳) |
出身地 | 日本・神奈川県 |
血液型 | B型 |
身長 | 175cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 共通語 |
師匠 | 立川談四楼 |
出身 | NSC東京校8期 |
コンビ名 |
インジャリカン→のみくい処(解散) メンソールレフト(2010年) |
相方 |
会津孝太(のみくい処) 本日は晴天なり(メンソールレフト) |
芸風 | 漫談、落語 |
事務所 | 太田プロダクション |
活動時期 |
2008年 - (ピン芸人として) 2015年10月 - (落語家として) |
過去の代表番組 |
爆笑レッドカーペット エンタの神様 爆笑トライアウト 爆笑オンエアバトル オンバト+ など |
受賞歴 | |
お笑いライブ『TEPPEN』第7代ピンチャンピオン |
岩手県盛岡市出身(一部プロフィールでは神奈川県出身となっている)。太田プロダクション所属。東京NSC8期生出身。ピン芸人時代の芸名はメンソールライトであり、転身後もしばらく太田プロのホームページにこの名義で掲載されていた。
過去に会津孝太とのコンビ『インジャリカン』(東京吉本所属)で活動。その後2005年4月解散後、太田プロダクションに移籍し、『のみくい処』として再結成。いずれもボケ担当だった。2008年6月に解散後ピン芸人として活動。
芸名は土田晃之が命名[1]。この芸名は「男(メン)がどん底(ソール)を経験した時に光(ライト)が見えた」という意味を持つ[2]。
お笑いライブ「TEPPEN」にて「第7代TEPPENピンチャンピオン」のタイトルを持つ[2]。
M-1グランプリ2010では、本日は晴天なりとのコンビ「メンソールレフト」で出場[3]。
中華料理が特技にあり[4]、横浜中華街で5年間アルバイトしていた経験があるという[5]。
2015年10月、落語家に転身。立川談四楼に入門し、立川只四楼の名をもらう。談四楼は当初、只四楼がメンソールライトであることを明かしていなかったが、12月の談四楼の独演会にて初高座。高座を見て、正体に気付いたファンの複数のツイートを受けて談四楼がそれを認めている[6][7]。
主に漫談。立ち飲み漫談、落語家漫談等を得意とする。口調や仕草が立川談志にそっくりである。これはピン芸人になった時に見た談志の高座に感銘を受けたため[8]。
ネタ中にテーマに沿ったジョークを言うが、客が感心してしまい笑わない場合「拍手じゃなくて(オーじゃなくて)笑い声が欲しいんだよ」と言う事がある。ギャルをネタにする事が多い。
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