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マーヴェレッツ(The Marvelettes)は、アメリカ合衆国の女性コーラス・グループ。1961年発表のデビュー曲「プリーズ・ミスター・ポストマン」の大ヒットで知られる。
ミシガン州インクスターの高校に通う、アフリカ系アメリカ人の女子学生により結成された。当初はCasinyetsというグループ名だったが、その後ザ・マーヴェルズ(The Marvels)と改名。デビュー前のメンバーはグラディス・ホートン、ジョージア・ドビンズ、キャサリン・アンダーソン、ジョージアナ・ティルマン、ジュアニータ・カウアトの5人。
マーヴェルズは、地元のタレント・ショウに出演。上位3組がモータウンのオーディションを受ける権利を得られるという条件で、マーヴェルズは4位だったが、彼女たちの学校の教師がモータウンを説き伏せ、彼女たちもオーディションを受けることができた[1]。そして、モータウンからオリジナル曲が必要だとアドバイスされ、ジョージア・ドビンズが「プリーズ・ミスター・ポストマン」の原案を思いつく[1]。ジョージアの友人であるウィリアム・ギャレットや、モータウン専属のソングライターも協力し、曲は完成するが、ジョージアはグループを脱退し、後任としてワンダ・ヤングが加入。名前もマーヴェレッツに改めることとなった。
1961年8月にデビュー・シングル「プリーズ・ミスター・ポストマン」がリリースされると、徐々にヒットしていき、最終的にはR&Bチャートとポップ・チャートの両方で1位を獲得[2]。モータウンからリリースされたシングルとしては、初の全米1位獲得を果たした。この曲は、後にビートルズやカーペンターズなど、多くのアーティストにカヴァーされる。同年には、同名のファースト・アルバムも発表された。リード・ボーカルは、グラディスとワンダが半々の割合で担当。
1962年、ワンダ・ヤングが一時的に脱退したため、セカンド・アルバム『The Marvelettes Sing』では4人編成となった。この頃、ディー・ディー・シャープ(Dee Dee Sharp)が「プリーズ・ミスター・ポストマン」に酷似した楽曲「マッシュポテト・タイム(Mashed Potato Time)」を大ヒットさせていたが、『The Marvelettes Sing』では「マッシュポテト・タイム」のカヴァーを収録するという意趣返しがなされている[3]。ワンダは間もなく復帰し、シングル「プレイボーイ」がR&Bチャート4位、ポップ・チャート7位という大ヒットとなるが[2]、1963年にはジュアニータ・カウアトが脱退して再び4人となる。また、ワンダはこの頃、ミラクルズのボビー・ロジャースと結婚し、以後ワンダ・ロジャースと名乗る(後に離婚)。
1966年には、スモーキー・ロビンソンが書き下ろした「Don't Mess with Bill」が久しぶりの大ヒットとなるが、1967年にはジョージアナ・ティルマンが脱退。グループはグラディス、ワンダ、キャサリンの3人となった。この頃、ヴァン・マッコイ作の「When You're Young and in Love」がイギリスでもヒットし、全英13位に達した[4]。しかし、リード・ボーカリストの1人だったグラディス・ホートンも出産のため脱退[1]。アン・ボーガンが後任として加入した。テンプテーションズのメルヴィン・フランクリンがゲスト参加した「My Baby Must Be a Magician」はR&Bチャートのトップ10に達したが、マーヴェレッツは勢いを失いつつあり、1969年のアルバム『In Full Bloom』はチャート・インを果たせなかった。
1970年のアルバム『Return of the Marvelettes』は、当初ワンダ・ロジャースのソロ・アルバムとして計画されていたが、最終的にはグループの作品となる[5]。そして、モータウンはデトロイトからロサンゼルスに移転することになるが、マーヴェレッツはロサンゼルス行きを望まず、1970年に解散。
年 | タイトル・カタログ番号 | Billboard Pop Singles[2] | Billboard R&B Singles[2] | UK Singles Chart [4] |
1961 | "Please Mr. Postman" (Tamla 54046) | 1 | 1 | - |
1961 | "Twistin' Postman" (54054) | 34 | 13 | - |
1962 | "Playboy" (54060) | 7 | 4 | - |
1962 | "Beechwood 4-5789" (54065) | 17 | 7 | - |
1962 | "Someday, Someway" (54065) | - | 8 | - |
1963 | "Strange I Know" (54072) | 49 | 10 | - |
1963 | "Locking Up My Heart" (54077) | 44 | 25 | - |
1963 | "Forever" (54077) | 44 | 24 | - |
1963 | "As Long As I Know He's Mine" (54088) | 47 | ** | - |
1963 | "My Daddy Knows Best" (54082) | 67 | ** | - |
1963 | "Too Hurt to Cry, Too Much in Love to Say Goodbye" (Gordy 7024) | 117 | ** | - |
1964 | "He's a Good Guy (Yes He Is)" (54091) | 55 | ** | - |
1964 | "You're My Remedy" (54097) | 48 | ** | - |
1964 | "Too Many Fish in the Sea" (54105) | 25 | 15 | - |
1965 | "I'll Keep Holding On" (54115) | 34 | 11 | - |
1965 | "Danger! Heartbreak Dead Ahead" (54120) | 61 | 11 | - |
1966 | "Don't Mess with Bill" (54126) | 7 | 3 | - |
1966 | "You're the One" (54131) | 48 | 20 | - |
1967 | "The Hunter Gets Captured by the Game" (54143) | 13 | 2 | - |
1967 | "When You're Young and in Love" (54150) | 23 | 9 | 13 |
1968 | "My Baby Must Be a Magician" (with Melvin Franklin) (54158) | 17 | 8 | - |
1968 | "Here I Am Baby" (54166) | 44 | 14 | - |
1968 | "Destination: Anywhere" (54171) | 63 | 28 | - |
1968 | "What's Easy For Two Is Hard For One" ("Destination: Anywhere" B面) (54171) | 114 | - | - |
1969 | "I'm Gonna Hold On As Long As I Can" (54177) | 76 | - | - |
1969 | "That's How Heartaches Are Made" (54186) | 97 | - | - |
1970 | "Marionette" | - | - | - |
1972 | "A Breath-Taking Guy" | - | - | - |
(**1963年から1964年にかけて、Billboard R&B chartの集計が行われなかった時期がある)
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