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オランダのサッカー選手、監督 (1977 - ) ウィキペディアから
マルク・ファン・ボメル(Mark van Bommel, 1977年4月22日 - )は、オランダ、マースブラフト出身の元サッカー選手。サッカー指導者。同国代表でもあった。現役時代のポジションはMF。現在はベルギー・ジュピラー・プロ・リーグのロイヤル・アントワープFCの監督を務めている。
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バイエルン・ミュンヘン時代(2010年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
マルク・ペーター・ヘルトルダ・アンドレアス・ファン・ボメル Mark Peter Gertruda Andreas van Bommel | |||||
ラテン文字 | Mark Van Bommel | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オランダ | |||||
生年月日 | 1977年4月22日(47歳) | |||||
出身地 | マースブラフト | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 85kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (DH) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992-1999 | フォルトゥナ・シッタート | 153 | (13) | |||
1999-2005 | PSV | 169 | (46) | |||
2005-2006 | バルセロナ | 24 | (2) | |||
2006-2011 | バイエルン・ミュンヘン | 123 | (11) | |||
2011-2012 | ミラン | 39 | (0) | |||
2012-2013 | PSV | 13 | (2) | |||
通算 | 536 | (78) | ||||
代表歴 | ||||||
2000-2012[1] | オランダ | 79 | (10) | |||
監督歴 | ||||||
2018- | オーストラリア (アシスタントコーチ) | |||||
2018-2019 | PSV | |||||
2020-2021 | アラブ首長国連邦 (アシスタントコーチ) | |||||
2021 | ヴォルフスブルク | |||||
2022- | アントワープ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
1992年、後に義父となるベルト・ファン・マルワイクが監督を務めるフォルトゥナ・シッタートへ入団。翌シーズンには当時エールディヴィジ史上最年少の16歳と23日でデビューを果たして頭角を表すと、中盤の中心選手として出場機会を増やし、当時2部だったチームの1部昇格へ貢献。1999年にPSVへ移籍。リーグ優勝に貢献する活躍を見せるとともに、2000年10月7日のキプロス戦でオランダ代表デビューを果たした。
2000-01シーズンにはPSVのキャプテンとして攻守にわたって活躍し、リーグ連覇に貢献。一方で2002年の日韓W杯はオランダ代表が出場権を逃し、EURO2004では自身の故障で出場を辞退するなど不運に見舞われている。2004-05シーズンには自身最多となる14得点を挙げてリーグ優勝を果たすと共にUEFAチャンピオンズリーグではベスト4入りを果たした。
2005年7月1日、FCバルセロナへ移籍。しかし、シャビ、デコ、ラファエル・マルケスがおもに起用されたためレギュラーに定着には至らなかった。しかし、UEFAチャンピオンズリーグでは12年ぶりに決勝に進出。決勝のアーセナル戦ではスタメン出場を果たし、14年ぶりの優勝を経験した。
2006-07シーズンはシーズン前のチームのアメリカ遠征にも参加したが、監督であるフランク・ライカールトに起用法を聞いたところ、「昨シーズンと同じくらいの出場時間かもしれないし、減るかもしれない」と言われた為、2006年8月27日にドイツのバイエルン・ミュンヘンに移籍。移籍金は770万ユーロ。9月23日の対アーヘン戦でブンデスリーガ初ゴールを決めると、30試合に出場し6ゴールを記録するなど期待に応える活躍を見せる。2008-09シーズンよりオリバー・カーンの引退により、ドイツ人以外ではチーム初となるキャプテンに就任した。
ドイツW杯以降は監督のマルコ・ファン・バステンとの確執から「今のスタッフが総退陣しない限り代表ではプレーしない」とオランダ代表からの招集を拒否していたが、EURO2008後に義父であるベルト・ファン・マルワイクが代表監督に就任したことで代表に復帰した。
2009年、資金難でリーグライセンス発行に苦心している古巣フォルトゥナ・シッタートのためにバイエルン・ミュンヘンとのチャリティーマッチを企画した。7500人の観客が来場し、売り上げが20万ユーロに達するなどイベントとしては成功したが、当のファン・ボメルは左太腿を負傷していたために出場できなかった[2]。
2011年1月25日、ACミランへ移籍した。契約期間は5か月、また契約解除のため、移籍金は発生していない。ミランでは4-3-1-2の中盤の底を務め、堅実なプレーを披露してチームの7年ぶりの優勝に貢献した。シーズン終了後、契約を1年延長した。
2012年5月14日、2011-12シーズン限りでの退団を明言。古巣PSVへの7季ぶりの復帰が決定した[3]。
EURO2012ではまさかの3戦全敗に終わり、6月19日にオランダ代表を引退した [4]。
2013年5月12日のシーズン最終節FCトゥウェンテ戦では2枚目のイエローカードを受けて退場処分、試合後に引退を表明した[5]。
2018年6月22日、PSVアイントホーフェンの監督に就任した[6]。 2019年12月16日、リーグ戦での低迷やUEFAヨーロッパリーグでのグループステージ敗退など成績不振に陥り、解任が決まった[7]。
2021年6月2日、VfLヴォルフスブルクの監督に就任[8]。しかし、開幕4連勝後は不振が続き、10月24日に解任された[9]。
翌2022 - 23シーズンから、ベルギーリーグのロイヤル・アントワープFC監督に就任。初年度から好成績を収めプレーオフに進出し、チームを66年ぶりのリーグ優勝に導いた[10]。
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 国際大会 | 通算 | ||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
フォルトゥナ・シッタート | 1992-93 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
1993-94 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | ||
1994-95 | 31 | 7 | 1 | 0 | 0 | 31 | 8 | ||
1995-96 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | ||
1996-97 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | ||
1997-98 | 31 | 1 | 0 | 0 | 0 | 31 | 1 | ||
1998-99 | 31 | 5 | 2 | 4 | 0 | 35 | 7 | ||
通算 | 153 | 13 | 3 | 4 | 0 | 157 | 16 | ||
PSV | 1999-00 | 33 | 6 | 0 | 4 | 0 | 37 | 6 | |
2000-01 | 32 | 7 | 4 | 0 | 11 | 2 | 47 | 9 | |
2001-02 | 23 | 4 | 3 | 0 | 7 | 2 | 33 | 6 | |
2002-03 | 28 | 9 | 3 | 0 | 6 | 0 | 37 | 9 | |
2003-04 | 23 | 6 | 1 | 0 | 8 | 1 | 32 | 7 | |
2004-05 | 30 | 14 | 3 | 1 | 14 | 2 | 47 | 17 | |
通算 | 169 | 46 | 14 | 1 | 50 | 7 | 233 | 54 | |
バルセロナ | 2005-06 | 24 | 2 | 3 | 1 | 9 | 1 | 36 | 4 |
バイエルン・ミュンヘン | 2006-07 | 29 | 6 | 3 | 1 | 8 | 1 | 40 | 8 |
2007-08 | 27 | 2 | 6 | 0 | 13 | 1 | 46 | 3 | |
2008–09 | 29 | 2 | 3 | 0 | 9 | 1 | 41 | 3 | |
2009-10 | 25 | 1 | 4 | 0 | 9 | 1 | 38 | 2 | |
2010-11 | 13 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 18 | 0 | |
通算 | 123 | 11 | 18 | 1 | 42 | 4 | 183 | 16 | |
ミラン | 2010-11 | 14 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 16 | 0 |
2011-12 | 25 | 0 | 3 | 0 | 6 | 0 | 34 | 0 | |
通算 | 39 | 0 | 5 | 0 | 6 | 0 | 50 | 0 | |
PSV | 2012-13 | 28 | 6 | 3 | 1 | 3 | 1 | 34 | 8 |
総通算 | 536 | 78 | 43 | 7 | 114 | 13 | 693 | 98 |
国際Aマッチ 79試合 10得点(2000年-2012年)
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