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アメリカの詩人、小説家 (1947-2024) ウィキペディアから
ポール・オースター(Paul Auster、1947年2月3日 - 2024年4月30日)は、アメリカの小説家、詩人。1980年代に「ニューヨーク三部作」と呼ばれる作品を発表して国内外で評価を受け、アメリカ現代文学の代表格として知られた。
ポール・オースター Paul Auster | |
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ポール・オースター(2008年9月) | |
ペンネーム | ポール・ベンジャミン |
誕生 |
1947年2月3日 アメリカ合衆国 ニュージャージー州ニューアーク |
死没 |
2024年4月30日(77歳没) アメリカ合衆国 ニューヨーク州ブルックリン |
職業 | 小説家、詩人 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
文学活動 | ポストモダン |
代表作 | ニューヨーク三部作 |
主な受賞歴 |
メディシス賞外国小説部門(1993年) アストゥリアス皇太子賞(2006年) |
配偶者 |
リディア・デイヴィス (1974 - 1977) シリ・ハストヴェット (1981 - 2024) |
公式サイト | Definitive Website |
ウィキポータル 文学 |
オースターはニュージャージー州ニューアーク[1]で、中流階級のポーランド系ユダヤ人の両親の元で生まれ、ニュージャージー州サウスオレンジにて育つ[2]。父親は複数のビルを所有する地主[3]。12歳の時に叔父から預かったダンボールいっぱいの本を読み耽り(このエピソードは『ムーン・パレス』の中に登場する)、以後、文学に興味を覚える。1970年に コロンビア大学大学院で文学を学び、修了後に石油タンカーの乗組員としてメキシコに移る。その後、過去に幾度か訪れていたフランスに移住し農園管理やフランス文学の翻訳等様々な仕事についたが、金銭を使い果たしたため1974年にアメリカに戻る。帰国後、大学時代から交際していたリディア・デイヴィスと結婚し、彼自身の詩、エッセイ、小説やフランス作家(マラルメやジョセフ・ジュベールなど)の翻訳を出版した。
彼の小説家としての第一作は、1976年のSqueeze Play と呼ばれる推理小説で、ポール・ベンジャミン(Paul Benjamin ベンジャミンは彼のミドルネーム)の筆名で出版された。この時期に、経済的な問題などから妻との関係が悪化し、最終的に離婚に至る。またこの頃には、様々な作家や詩人、芸術家についての批評的エッセイを書いたり、20世紀のフランス詩の選集の編集を行うなどの活動も行っていた。オースターが書いた批評的エッセイには、カフカやベケットといった彼が多大な影響を受けた作家や、ツェランやジャベス、アッシュベリー(“アシュベリー”とも)といった感銘を受けた書き手についての文が含まれ、それらはのちに(オースターへのインタビューなどと共に)『空腹の技法』に収められた。
1979年に父が死去し、遺産が手に入ったことにより創作活動に専念できるようになる。1982年にオースター名義での処女作『孤独の発明』を発表。この作品は父の死を契機として父とのこと、そして自身のことを述べた自伝的作品になっている。またこの頃にシリ・ハストヴェットと出会い、1981年結婚する[1]。
1985年から1986年にかけて発表した『ガラスの街』、『幽霊たち』、『鍵のかかった部屋』といったニューヨークを舞台にした一連の作品をまとめた「ニューヨーク三部作」(1987年)で大きく評価される。 これらの作品は、謎とそれを解く手がかりとで構成された従来の推理小説とは違い、アイデンティティに関わる疑問を書き記すために、ポストモダン的な特徴を持つ彼独特の形式が用いられている。
アイデンティティや生きる意味を探すことは、その後の作品を通じて重要なテーマとなっている。1989年の『ムーン・パレス』はアメリカのフロンティア消滅後にあえてフロンティアを描きつつ、主人公の父親探しの物語を展開している。1990年の『偶然の音楽』、アメリカ中の自由の女神像を爆破する男と小説家の関係を描く1992年の『リヴァイアサン』への系譜は、ポストモダンな作風から純文学への変化を示しつつ、アイデンティティの問いが継続されている。空中に浮く能力を持つ少年を描いた1994年の『ミスター・ヴァーティゴ』、犬の視点で物語る1999年の『ティンプクトゥ』でも個の省察が重要である。
21世紀に入ると、『幻影の書』(2002)や『闇の中の男』(2008)など、老人を主人公とした小説を発表している。時間、記憶、生死といった問題が扱われている。また、『サンセットパーク』では差し押さえられた家の中の物を撤去する仕事をしながら、捨てられた物の写真を撮り続ける男が主人公である。同作では小説の新たな方向性が模索されている。
オースターは映画という手法にも興味を持っていたが、1990年にニューヨーク・タイムズに掲載された「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を読んだ映画監督ウェイン・ワンがオースターに連絡を取り、作品の映画化の話が進んだ。オースターはワンと親交を深め、1995年の映画「スモーク」の脚本を書き下ろし、ハーヴェイ・カイテルやフォレスト・ウィテカーなどのキャストの選定も行った。
1995年に「スモーク」を撮り終えた頃、余ったフィルムでなにかできないかと考えて撮られたのが映画「ブルー・イン・ザ・フェイス」である。即興で作られたため6日間で撮り終えられたこの作品には、「スモーク」に出演したハーヴェイはもとより数多くの俳優が集まり、その中にはルー・リード、マイケル・J・フォックス、マドンナなどがいた。オースターはこの作品の脚本執筆及び副監督を務めている。
1998年、自身初の監督作品「ルル・オン・ザ・ブリッジ」を発表。元々はヴィム・ヴェンダースに監督を依頼していたがヴェンダースの都合により自身が監督を務めることとなり、再びハーヴェイ・カイテルとミラ・ソルヴィノ(ブルー・イン・ザ・フェイスにて共演)をキャスティングした。
映画、小説共に彼の作品はニューヨーク、特にブルックリンを土台にしている。彼の作品が日本で比較的受容されている理由としては、オースターの表現がアメリカの雰囲気を感じさせ、扱われている土地が日本人になじみの多い場所が多いことも一因だろう。1993年、『リヴァイアサン』によってフランス・メディシス賞の外国小説部門賞を受賞した。また、2017年の『4 3 2 1』は同年のブッカー賞の最終候補作となった。
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