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ペグー王朝
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ペグー王朝(ペグーおうちょう)は、13世紀末よりビルマ(ミャンマー)のペグー(バゴー)を首都としてエーヤワディー川流域の南部(下ビルマ)を支配した王朝。
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建国者のワーレルーはシャン族の人間であるが[1][2]、事実上モン族の国家と見なされている[3][4]の王朝。港市国家に分類される[5]。この王朝を指す際に、ペグーの旧称であるハンターワディー(ハムサワティ)にちなんだハンターワディー王朝(ビルマ語: ဟံသာဝတီ ပဲခူး တိုင်းပြည် ビルマ語発音: [hœ̀n̪t̪àwədì bəɡó táɪmpjì] ハンターワディー・バゴー・タインピー; モン語: ဟံသာဝတဳ ホンサワトイ[6])の名称が使用されることも多い。
下ビルマには11世紀初頭までモン族の国家であるタトン王国(英語版)が存在していたが、タトン王国がビルマ族の国家であるパガン王朝によって征服された後、13世紀末にモン族の王朝が再興された経緯については不明な点が多い[7]。遅くとも15世紀の時点のペグー王朝は、過去に存在したモン族の国家とは全く異なる性質を有していた[7]。