ベルリン工科大学
ドイツの大学 ウィキペディアから
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ベルリン工科大学(ベルリンこうかだいがく、独: Technische Universität Berlin、略称: TU Berlin)は、ドイツの首都ベルリンの公立大学(ベルリンに5つある大学の一つ)。
Technische Universität Berlin | |
モットー |
Wir haben die Ideen für die Zukunft (We have the ideas for the future) |
---|---|
種別 | 公立大学 |
設立年 |
1770/1799/1879 1946 |
資金 | €568 million (2018)[1] |
学長 | Christian Thomsen (since 2014) |
職員数 |
7,499 (WS 2009/10)[2] |
学生総数 | 29,234 (WS 2009/10)[3] |
その他の学生 |
Professional students :845 (2007) Research associates: 1,952 (2007)[3] |
所在地 |
ドイツ ベルリン 北緯52度30分43秒 東経13度19分35秒 |
キャンパス | 都市 |
ノーベル賞受賞者数 | 10[4][5][6] |
公式サイト |
www |
ドイツ政府のエクセレンス・イニシアティブ(大学院/エクセレンス・クラスター部門)に指定されている総合工科大学で、TU9のメンバー校である。10人のノーベル賞受賞者を輩出しており、国内の工科大学では、ミュンヘン工科大学、アーヘン工科大学、カールスルーエ工科大学らと共にトップクラスの名門校である。
ベルリン工科大学の歴史は、プロイセン国王フリードリヒ2世によって1770年に創設された鉱山夫・精錬工教習所(Berg- und hüttenmännische Lehrinstitut)にまで遡ることができる。他にも、1799年創立のベルリン建築アカデミー(Berliner Bauakademie)、1821年創設のベルリン工科学校(Berliner Technische Schule)などが、大学の前身として挙げられる。その後、1879年にドイツ初の博士号を提供する工科大学として王立シャルロッテンブルク工科大学(Königliche Technische Hochschule Charlottenburg)が創設される。
第二次大戦後の1946年、人文系の学科も併設する工科大学として新設され、呼称も現在の「Technische Universität Berlin」に改称される。1960年代後半には、ベルリン自由大学とともに当時の西ベルリンにおける学生運動の中心部となる。1980年のベルリン教育大学の解消にともない、いくつかの学部が工科大学にも吸収される。東西ドイツ再統一後は、ドイツ有数のマンモス大学として知られる。現在、ドイツで二番目に大きな工科大学でもある。
2010年現在、七個の学部から構成されている。
ベルリン工科大学のキャンパスは西ベルリン地区の様々な場所に60万平方メートルにわたって広がっている。その中でもメインキャンパスはシャルロッテンブルク区の東端に位置しており、以前西ベルリンの鉄道の玄関口でもあったベルリン動物園駅(ツォー駅、詳細はベルリン中央駅を参照)から徒歩でたどり着くこともできる。最寄り駅は地下鉄2号線を利用しツォー駅より1駅のエルンスト・ロイター広場駅となる。
また、ベルリン中心部に大きく広がる公園、ティーアガルテンに隣接している。メインキャンパス前を貫く広い道路は6月17日通りであり、ベルリン中心部に位置していることがよくわかる。中央図書館はフォルクスワーゲン大学図書館という建物で、隣接するベルリン芸術大学の図書館と共同で入居している。
物理学や工学、建築の分野を中心に著名な学者を輩出している。
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