ダンスロック (Dance-rock) は、リズム・アンド・ブルースの影響がわずかなポップ・ロックポスト・パンクと結び付いたポスト・ディスコの一ジャンルである。パンク・ロックディスコの人気低下後の1980年代前半に発祥した[2]

概要 ダンスロック, 現地名 ...
ダンスロック
現地名 Dance-rock
様式的起源
文化的起源 1970年後期 - 1980年初期のアメリカとイギリス
使用楽器
派生ジャンル
関連項目
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初期のダンスロックの例として、ジーナ・エックス英語版の「NO G.D.M.」[3]ラス・バラードの「オン・ザ・リバウンド」[4]ダイナソーL英語版リキッド・リキッドをはじめとしたアーティスト[5]、2000年に発売されたコンピレーション・アルバム『Disco Not Disco』[6][7]が挙げられる。

定義

マイケル・キャンベルは、著書『Popular Music in America』で、ダンスロックについて「ポスト・パンクポスト・ディスコの融合」と定義している。また、キャンベルはロバート・クリストガウの言葉を引用し、「1980年代に様々なDJが包括的な用語として使用していたダンス志向のロック」ともしている[8]

一方で、オールミュージックはダンス・ロックについて「フィリー・ソウルディスコファンクの影響を受け、それぞれのスタイルをロックやダンスと融合させ、1980年代および1990年代にロック・ミュージシャンによって演奏された音楽」と定義し、その例としてローリング・ストーンズデヴィッド・ボウイデュラン・デュランシンプル・マインズINXSユーリズミックスデペッシュ・モードザ・クラッシュニュー・オーダーディーヴォを挙げている[9]

歴史

ダンスクラブでは「ロック・ミュージックがディスコに取って代わる」と予想されていたが、代わりにポスト・ディスコニュー・ウェイヴに加え、ポスト・ディスコが混在していた。ほどなくして、ダンス・ロックの第1陣として、ニュー・オーダープリンスヒューマン・リーグブロンディトム・トム・クラブ、ディーヴォ、ダリル・ホール&ジョン・オーツトンプソン・ツインズヘアカット100ABCデペッシュ・モードスパンダー・バレエが登場した[2]

1981年にクラフトワークはアルバム『コンピューター・ワールド』を発売してR&Bの聴衆を獲得し、アフリカ・バンバータの「プラネット・ロック英語版」やエレクトロ全般に影響を与えており、多数のクロスオーバーが生み出された[10]。時を同じくして、ダンスロックやポスト・ディスコへの関心が高まったことにより、12インチシングル盤やEP盤の人気にも繋がった[2]

その後ダンス・ロックは、ガービッジノー・ダウトロビー・ウィリアムズシザー・シスターズヤング・ラヴ英語版フランツ・フィルディナンドアークティック・モンキーズカサビアンザ・キラーズをはじめとしたオルタナティヴ・ロック・ミュージシャンに影響を与えた[9]

主なダンスロック・ミュージシャン

関連項目

脚注

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