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タチアナ・ペレビニス(Tatiana Perebiynis, ウクライナ語:Тетяна Перебійніс, 1982年12月15日 - )は、ウクライナ・ハルキウ出身の女子プロテニス選手。2005年のウィンブルドン混合ダブルス部門で、オーストラリアのポール・ハンリーとペアを組んで準優勝した選手である。自己最高ランキングはシングルス55位、ダブルス35位。WTAツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで6勝を挙げている。
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タチアナ・ペレビニス | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Tetyana Yurevna Perebiynis | |||
国籍 | ウクライナ | |||
出身地 | 同・ハルキウ | |||
生年月日 | 1982年12月15日(41歳) | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 59kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1996年 | |||
引退年 | 2009年 | |||
ツアー通算 | 6勝 | |||
シングルス | 0勝 | |||
ダブルス | 6勝 | |||
生涯通算成績 | 401勝331敗 | |||
シングルス | 247勝190敗 | |||
ダブルス | 154勝141敗 | |||
生涯獲得賞金 | $1,148,734 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 2回戦(2005・2008) | |||
全仏 | 3回戦(2004) | |||
全英 | 3回戦(2004) | |||
全米 | 3回戦(2008) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 3回戦(2008) | |||
全仏 | 3回戦(2007) | |||
全英 | ベスト4(2006) | |||
全米 | 2回戦(2001・03・07) | |||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
全英 | 準優勝(2005) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 55位(2008年4月21日) | |||
ダブルス | 35位(2008年4月21日) | |||
1996年にプロ入り。1999年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのウクライナ代表に選出され、2004年まで6年間代表選手を務めた。ジュニア選手の大会では、2000年ウィンブルドンの女子ジュニア部門でシングルス準優勝・ダブルス優勝がある。2001年全豪オープンから4大大会の予選会に出場し始め、同年の全米オープンで本戦初出場を果たす。2002年6月、ウズベキスタン・タシュケント大会でダブルス初優勝を達成。ペレビニスは2004年にシングルスの好成績を多く出し、全仏オープンとウィンブルドンで2大会連続の3回戦に進み、8月第2週のスウェーデン・ストックホルム大会で初の女子ツアー大会決勝進出があった。その決勝戦ではオーストラリアのアリシア・モリクに 1-6, 1-6 で敗れ、シングルス初優勝のチャンスを逃してしまう。ストックホルム大会準優勝の後、ペレビニスは2004年アテネ五輪にもウクライナ代表選手として出場した。女子シングルス2回戦では、日本の杉山愛と対戦し 7-5, 6-4 で敗れている。
2005年のウィンブルドンで、タチアナ・ペレビニスはオーストラリアのポール・ハンリーと混合ダブルスのペアを組み、初めての決勝戦に勝ち進んだ。ハンリーとペレビニスは、決勝でマヘシュ・ブパシ(インド)&マリー・ピエルス(フランス)組に 4-6, 2-6 で敗れて準優勝になった。ウクライナの女子テニス選手によるウィンブルドン決勝進出は、1999年の女子ダブルス準優勝者になったエレナ・タタルコワ以来2人目であった。
ウィンブルドン混合ダブルス準優勝の後、ペレビニスはウイルス感染症を患い、2005年シーズン後半のトーナメントを棒に振った。この期間中にコーチのドミトリー・ザドロツニー(Dimitriy Zadorozhniy)と結婚。2006年2月からツアーに復帰し、同年のウィンブルドン女子ダブルスにおいて、同じウクライナのユリアナ・フェダクと組んで準決勝に進出した。2007年5月上旬にポーランド・ワルシャワで開かれた「J&Sカップ」のダブルスで、ベラ・ドゥシェビナ(ロシア)と組んで復活優勝を果たす。2007年ウィンブルドンで久々に4大大会の予選会を通過し、本戦2回戦まで勝ち進んだ後、全米オープンでも予選を通過する。2008年には4年ぶりのフェドカップ代表復帰も果たし、北京五輪で2度目のオリンピックに出場する。全米オープンでシビル・バンマー(オーストリア)との3回戦まで進出した。
ペレビニスは2009年ウィンブルドン選手権を最後に公式試合から遠ざかっている。
大会グレード |
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グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (0–0) |
ティア III (0–0) |
ティア IV & V (0–1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2001年6月17日 | タシケント | ハード | タチアナ・ポウチェク | パトリシア・ワーツシュ ペトラ・マンデュラ |
1–6, 4–6 |
優勝 | 1. | 2002年6月16日 | タシケント | ハード | タチアナ・ポウチェク | Mia Buric ガリナ・フォキナ |
7–5, 6–2 |
準優勝 | 2. | 2003年2月23日 | ボゴタ | クレー | ティナ・クリザン | カタリナ・スレボトニク アサ・スベンソン |
2–6, 1–6 |
準優勝 | 3. | 2003年4月20日 | ブダペスト | クレー | コンチタ・マルティネス・グラナドス | ペトラ・マンデュラ エレナ・タタルコワ |
3–6, 1–6 |
優勝 | 2. | 2003年8月3日 | ソポト | クレー | シルビア・タラヤ | マレット・アニ リブセ・プルソバ |
6–4, 6–2 |
準優勝 | 4. | 2003年8月10日 | ヘルシンキ | クレー | シルビア・タラヤ | エフゲニア・クリコフスカヤ エレナ・タタルコワ |
2–6, 4–6 |
優勝 | 3. | 2005年2月27日 | アカプルコ | クレー | アリーナ・イドコワ | ロサ・マリア・アンドレス・ロドリゲス コンチタ・マルティネス・グラナドス |
7–5, 6–3 |
優勝 | 4. | 2005年5月1日 | ワルシャワ | クレー | バルボラ・ストリコバ | クラウディア・ヤンス アリシア・ロソルスカ |
6–1, 6–4 |
優勝 | 5. | 2007年5月6日 | ワルシャワ | クレー | ベラ・ドゥシェビナ | エレーナ・リホフツェワ エレーナ・ベスニナ |
7–5, 3–6, [10–2] |
優勝 | 6. | 2008年5月24日 | ストラスブール | クレー | 晏紫 | 詹詠然 荘佳容 |
6–4, 6–7(3), [10–6] |
準優勝 | 5. | 2008年1月11日 | シドニー | ハード | タチアナ・ポウチェク | 鄭潔 晏紫 |
4–6, 6–7(5) |
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
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