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『ソクラテスの思い出』(ソクラテスのおもいで、古代ギリシャ語: Ἀπομνημονεύματα, ラテン文字転写: Apomnēmoneumata, アポムネーモネウマタ、羅: Memorabilia, メモラビリア)は、クセノポンによって、ソクラテスの死後に回想的に書かれた、生前のソクラテスの言行録である。ソクラテスに関する根本文献でもあり、その哲学活動に関し最も長い記述がある。原題は、ギリシャ語もラテン語もどちらも「追想録」といった程度の意味[1]。
紀元前399年にソクラテスが刑死に遭った際には、クセノポンは『アナバシス』に描かれた、傭兵・将軍として参加した遠征の最中であった。その際に懇意となったスパルタ王アゲシラオス2世の要請を受け、紀元前394年にはコロネイアの戦いに参加するが、その親スパルタの姿勢が理由で同年アテナイを追放され、その後はスパルタ(アゲシラオス2世)に提供されたオリュンピア近郊スキルスの荘園の領主として過ごすことになる。執筆活動もそこで行われ、本書が完成したのは紀元前385年頃と推定される[2]。
後世にアレクサンドリアの学者が、後述するような4巻構成に分け、各巻にも章節の区分を施した。
以下の全4巻から成る。
第1巻の冒頭の2つの章においてソクラテスへの非難に対する直接的な弁明を行う。ここでは、広く流布していたソクラテスへの形式的な非難に関する議論をするのみならず、ソクラテスへの政治的な非難に対しても弁明を行っている。そこには、クセノポンやプラトンによる『ソクラテスの弁明』においては取り上げられていない、ソクラテスがアルキビアデスやクリティアスを堕落させたという非難や、若者に民主主義を軽蔑させたという非難が含まれている。
これらソクラテスに関する非難は紀元前399年のソクラテスの裁判の時のものではなく、数年後にアテネのソフィストであるポリュクラテスによって書かれた『ソクラテスへの告発』における非難に応えていると言われている[3]。(しかし、ポリュクラテスの作品は失われ、復元されたとされる資料は信頼できないため、クセノポンがポリュクラテスの非難に逐一反論しているかという議論は、クセノポンによるソクラテスの取り扱いが実際のソクラテスを反映するか、あるいはその大部分がフィクションであるかを、討論する際における要素の一つである。)
それ以降は、ソクラテスが弟子や友人・ライバル・および有名なギリシャ人と行った対話を集めたものである。一つ一つのエピソードは短いが、ソクラテスの哲学の一端を垣間見ることのできるものとなっている。このときクセノポンがとった立場は、プラトンのようにソクラテスが最初の哲学者であることを示しかつ自分自身の哲学を示すことではなく、ソクラテスが良き教育者としてアテナイの人々によい影響を与えたかを示すことにある。
第1章では、ソクラテスに対する法廷告発文の内、「国家の認める神々を信奉せず」に対する反論が展開され、ソクラテスがいかに(人並み以上に)敬神的な人物であったかが、具体的な言動と共に述べられる。
第2章では、ソクラテスに対する法廷告発文の内、「青年を腐敗させ」に対する反論が展開され、ソクラテスの心身両面における自制・節制、無報酬の教育、また彼の評議員のくじ引き抽選批判について、さらには「腐敗させられた青年」の代表例であるクリティアスとアルキビアデスに関する多くの文量を割いた弁明、また「腐敗させられてない多くの仲間・友人たち」についてや、その他「青年に父・近親者を侮蔑することを教えた」「有名な詩を引用して青年を暴力的にした」といった非難に対する反論などが述べられる。
第3章では、ソクラテスの(具体的な金銭・権力・勝利を願わず、神々の全知性を信頼して、ただ「善きもの与えたまえ」とだけ祈り、また各人の資産に見合った供物を捧げる、という)「神々に対する祈り・供物のあり方」や、「飲食・肉欲に対する節制した態度」について述べられる。最後の肉欲に関しては、「クリトンの息子クリトブロスが、アルキビアデスの息子である美少年にキスをしたこと」を、ソクラテスが非難したエピソードが付け加えられる。
第4章では、不敬神な友人アリストデモスに対して、ソクラテスが、「創造者たる神々が、自分たち人間を優秀に創ってくれたことに対する感謝」や、「神々は全知であり、吉凶禍福を授ける力もあり、人間に神託や前兆などによって諭しを与えていること」などを挙げつつ、敬神の心を持つよう諭したエピソードが述べられる。
第5章では、ソクラテスが人々に対して、「「欲望・快楽の奴隷」となっている者に国家・子女・財産を任せたり、そうした者を望んで友人として交際する者などいないし、そうした者は自他を害するので、自らもそうならないように努めるべき」と、克己の重要性を説いたエピソードが述べられる。
第6章では、ソクラテスと、ソフィストであるアンティポンとの対話が述べられ、「ソクラテスの「飲食・衣類の貧しさ」や「無報酬での教育」を嘲笑するアンティポンに対し、ソクラテスがそれでも十分自足的・幸福であり、むしろ「欲望・快楽や金に隷属すること」こそがその逆であると、反論した話」や、別の機会の「「交際の礼金(報酬)」を取らないソクラテスを賢くないと評するアンティポンに対して、ソクラテスが「金で誰にでも美貌を売る売春婦」のように「金で誰にでも智を売る学問屋」よりは、「天賦の才がある者に、自分が知っている良いことを全て教え、友人にすること」の方が立派だし幸福だと反論した話」、さらに「「自分が政治に携わらないのに、他人を政治家に仕上げることを考えている」とソクラテスを批判したアンティポンに対して、ソクラテスが「自分一人で政治に携わるより、できるだけ多くの人が政治に有能になるよう心がけることの方が、より政治に参与すること」だと反論した話」などが披露される。
第7章では、ソクラテスが友人(弟子)たちに、「実際に能力が無いのに、あるように見せかけて名声を得ようとする虚飾・欺瞞は、限界があるし割りに合わない(それよりは実際に卓越したものになれるよう努力した方がいい)こと」を指摘して諭した話が述べられる。
第1章では、ソクラテスが、自制心を欠いたアリスティッポスに対して、「治者たる者 (と、そうでない者) にふさわしい教育・修行」について問答しつつ、克己・忍耐の重要性を説く。続いて、自分をそのどちらに入れるか問われたアリスティッポスは、「国家への献身・犠牲が求められながらも、非難の的となる」治者・為政者は愉快な生涯ではないし、奴隷も嫌なので、両者の「中間」が良いし、それこそが自由・幸福な最上の道であり、そのために自分は諸国で「外客 (クセノス)」になっていると答える。ソクラテスが、それはとても脆弱な立場であると指摘すると、アリスティッポスもそれを認めるが、しかしソクラテスが勧める「治者にふさわしい克己・忍耐の道」は、自発的か強制的かの区別を除けば、奴隷と変わらない「苦痛に堪える道」であって幸福ではないと反論する。そこでソクラテスは、両者 (自発的・強制的) の差異を説き、最後にプロディコスの作として、「「美徳」と「悪徳」の2人の女性に道を説かれる、青年期のヘラクレス」についての寓話『岐路に立つヘラクレス』が述べられる。
第2章では、母親であるクサンティッペの口やかましさに反抗するソクラテスの長男ランプロクレスを、ソクラテスが(母)親の恩を挙げつつ諭したエピソードが述べられる。
第3章では、友人であるカイレポンとカイレクラテスの兄弟の仲違いに関して、弟であるカイレクラテスに仲直りするよう諭したエピソードが述べられる。
第4章では、ソクラテスが、「多くの人々が、口先では「賢明な良友は、最も貴い財宝」と言ってながら、実際には自分の家屋・土地・奴隷・家畜・家財ほどにも、友人のことを顧みていないこと」を批判しつつ、「良友獲得の価値・意義」を説いたエピソードが述べられる。
第5章では、ソクラテスが、友人(弟子)の1人が友の窮乏を放っていることを批判するために、その彼がいる前で、アンティステネスを相手に、「人間は他者に対して「友人としての価値」の値踏みをしていること、そして自分自身も他者にとって「友人としての価値」がある者であり続けられるよう努力しなくてはいけないこと」を説いたエピソードが述べられる。
第6章では、ソクラテスが、仲間であるクリトブロス(クリトンの息子)を相手に、友人選びと友人獲得の方法について、すなわち、「友人は、欲望に弱い・浪費家・ケチ・拝金的・好戦的・恩知らずといった人間ではなく、克己節制・清廉・付き合いやすい・報恩的な人間を選ぶこと」「その人間の性質を知るには、過去の行いを見ること」「善い友人を獲得するためには、まず自分自身がそれに値するだけの善い人間になるよう心がけること」を、説いたエピソードが述べられる。
第7章では、ソクラテスが、三十人政権の内乱時に男たちが外港ペイライエウスへ逃げ、残された親族の女たちを一手に抱え込んで途方に暮れていた友人アリスタルコスに対して、彼女たちに挽き割り麦やパンの製造、衣類の縫製を行わせるなどして、経済的に自立できるようにすることを提案・説得したエピソードが述べられる。
第8章では、ソクラテスが、「ペロポネソス戦争で財産を没収されるも、中年ながら他人に頭を下げたり、小言を言われるのが嫌で、肉体労働で生計を立てている」という境遇の昔の弟子エウテロスに対して、経営の助手、仕事の監督、農作物収穫の指揮、財産の管理といった、年を取ってもできる仕事を探すこと、それも自分の能力に見合い、正当な評価ができる人の下での仕事を探すよう助言したエピソードが述べられる。
第9章では、示談金目的の誣告を行う訴訟屋(シュコパンテース, 希: συκοφάντης, sykophántēs)たちに苦しめられているクリトンに対して、ソクラテスが、羊を守る番犬のように、その分野に能力があって自尊心・忠誠心が強い者を味方とするよう助言し、後にアルケデモスという人物が見出され、クリトンやその仲間が助けられたエピソードが述べられる。
第10章では、ソクラテスがディオドロスという資産家の男に対して、(彼が大事にしている召使い・奴隷たちよりも、友人とすれば有益な人物となるであろう)窮乏にある友人ヘルモゲネスを支援するよう要請したエピソードが述べられる。
第1章では、ソクラテスが、将軍を志す弟子の1人である青年に、将軍学を教えると称していたソフィストのディオニュソドロスに学びに行かせ、将軍学のごく一部に過ぎない「陣列配置の初歩的な原則」しか教えてないディオニュソドロスの不備を指摘したエピソードが述べられる。
第2章では、ソクラテスが、将軍に選ばれた者に対して、「兵士たちの世話」と「国民の幸福のためという戦争の目的・大義」を忘れずに心がけるよう忠告したエピソードが述べられる。
第3章では、ソクラテスが、騎馬統監に選ばれた者に対して、馬の管理、乗馬訓練、実践的な地勢での訓練、馬上投槍訓練、勇猛心の鼓舞、自らの優秀さと弁舌によって名誉と命令服従を重んじる兵士を育てること、などを助言したエピソードが述べられる。
第4章では、ソクラテスが、自分ではなく「公共奉仕(レイトゥールギア, 希: λειτουργία, leitourgia)に熱心な資産家・家政家(商人・事業家)」であるアンティステネスが将軍に選ばれたことに不満を持つベテラン軍人のニコマキデスに対して、将軍と家政家(商人・事業家)の(資質の)共通点、すなわち「部下の支配」「適材適所の任命」「信賞必罰」「部下の好意」「盟友・支援者の獲得」「所有物の喪失防止」「仕事への情熱・献身」「敵に対する勝利への執着と、そのための周到な準備」等を挙げて選出を擁護しつつ、将軍の心得を彼に説いたエピソードが述べられる。
第5章では、ソクラテスが、将軍に選ばれた(大)ペリクレスの息子である小ペリクレスに対して、「ボイオティア人に押されて威勢を失っているアテナイ人を、神話やペルシア戦争における先祖の活躍話で鼓舞激励すること」「アテナイでも軍隊以外の分野では訓練された規律のある人々は多いので、必要以上に卑下・落胆することはないこと」「軍隊(重装兵・騎馬兵)において訓練・服従が成り立ってないのは、将軍の知識・技術を修めた適切な者が指揮していないからであり、小ペリクレスも父親を始めあらゆるところからそれに資するものを学び、また良い助力者を得るべきであること」「ボイオティアとの国境地帯は地形が険しいので、軽装の兵士を配置するのが望ましいこと」などを助言したエピソードが述べられる。
第6章では、ソクラテスが、国家指導者になることを志して演壇に立っては下手な演説で物笑いにされていた青年グラウコン(プラトンの兄)に対して、彼が「国家の収入・支出」「兵力(陸軍・海軍)」「守備隊の数・位置」「銀山の産出額」「穀類・食料資源の量」等のどれ一つとして把握していないことを指摘しつつ、「そのように家一つ治めることもできず、人ひとり説得できないような有り様では、国事に関してそれを行うことは不可能であり、まずそうした知識を完備して他者より優れるようになってから国事に携わるようにすべき」と助言したエピソードが述べられる。
第7章では、ソクラテスが、国政を担う能力がありながら衆目の場を避ける恥ずかしがり屋であるカルミデスに対して、国政進出を勧めつつ、「評議会は、カルミデスより能力の低い素人たちで構成されていること」「他人の仕事の粗探し・嘲笑に夢中になっているような人々のことなど気にせず、自分自身に意識を向け、自分のやるべき仕事に専念すること」などを説いて諭したエピソードが述べられる。
第8章では、ソクラテスが、以前やり込められたお返しにソクラテスをやり込めようと「善」や「美」について問うてくるアリスティッポスに答える形で、「善(善いもの)」とは「熱病にとって(善いもの)」「眼病にとって(善いもの)」「空腹にとって(善いもの)」といったように「具体的な苦痛を取り除くもの(有用性・実用性)」を指す概念であり、同じように「美」も「競走において(美である人間)」「角力(すもう)において(美である人間)」「防ぐことにおいて(美な道具である盾)」「強く速く投げることにおいて(美な道具である槍)」といったように「具体的な能力・機能性」を指す概念であること、したがって「美と善」は一体的な概念であると同時に、適用する対象・状況によって「美・善」だったものが「醜・悪」にもなり得るという、具体的かつ相対的な概念であると説いたエピソード、また「家の間取り」や「神殿・祭壇の場所」についても、ソクラテスが「有用性・機能性・快適さ」や「美しさ」を結びつけて語ったエピソードが述べられる。
第9章では、ソクラテスが、
等と説いたエピソードが述べられる。
第10章では、ソクラテスが、画家パラシオスや彫刻家クレイトンに対して、身体の姿形のみならず、「表情に現れる内面・感情も表現に反映させた方が良い」と助言したことや、胸当職人ピスティアスが作る商品が高い理由を、「各人の身体に合わせた、装着の負担・苦痛が少ない商品を作れるから」だと、本人も納得できるように上手く言い表したエピソードが述べられる。
第11章では、ソクラテスが、絶世の美女と評判で画家たちのモデルも引き受けている高級娼婦(援助交際婦・妾、ヘタイラ)のテオドテに対して、「ウサギを罠に追い込む猟犬のように、金持ちの人間たちを探して自分へと誘導してくる人物を1人得ること」「表情・仕草に現れるほどに、魂から真心を込めて相手(愛人)に対して愛情を示すこと」「満腹・空腹と食事の関係と同じように、相手(愛人)が自分を欲しくなるのを待ち、さらに上品な交際の要求と渋りじらしによって、自分の価値を最大限に高めること」などを、助言したエピソードが述べられる。
第12章では、ソクラテスが、貧弱な身体をしている若年の弟子エピゲネスに対して、身体鍛錬を行ってないと、戦争時に命を落としたり捕虜・奴隷の境遇に落ちる可能性も高くなるし、逆に強健な身体をしていれば、戦場で生存・活躍したりそれによって国家社会から感謝・栄誉・良い余生を得られる可能性が高くなること、また個人の事業や思索的営みを考える上でも強健な身体は重要になると指摘し、身体鍛錬を勧めたエピソードが述べられる。
第13章では、ソクラテスが、
等のエピソードが述べられる。
第14章では、ソクラテスが、
等のエピソードが述べられる。
第1章では、ソクラテスが、
等のエピソードが述べられる。
第2章では、有名な詩人・学者の書物を収集・熟読し、自分を知者であり最も優秀な弁論家であると自負していた秀才少年エウテュデモス[4]が、ソクラテスの仲間(弟子)になった経緯、すなわち、ソクラテスが、
といった経緯が述べられる。
第3章では、ソクラテスが、弟子たちが弁舌・行動・工夫において巧みになるよりもまず、思慮ある人間になることを重視したこと、そしてまず第1に、神々に関して思慮ある人間にしようと努めたこと、そして例として「神々の人間に対する配慮について、考えたこともない」と言う(先の話に出てきた)エウテュデモスを相手に、神々が人間に対して、
ということ、そして加えて、
といったことを説いたエピソードが述べられる。
第4章では、ソクラテスが、彼にとっての「正義」が何であるかを実行によって示したこと、すなわち私的には世の掟に従い、公的には(市民・軍人としては)国法に従い、服従・秩序を重んじたことが、
といったエピソードと共に述べられ、続いて、そんなソクラテスが人々に話して聞かせていた彼の「正義」についての考え方がどういうものであったかが、ソフィストであるヒッピアスとの対話において、ソクラテスが、
等と説いたエピソードとして述べられる。
第5章では、ソクラテスが、「大きなことを成し遂げようとする者は、自制の力を備えることが重要」だと考えていたこと、そして常に自らの言動で弟子たちにそれを示していたこと、そして例として(先の話に出てきた)エウテュデモスを相手に、
などと説いたエピソードが述べられる。
第6章では、ソクラテスの討論(dialegesthai)による検討のあり方や、その内容について述べられる。すなわち、ソクラテスが、
といったことが、(先の話に出てきた)エウテュデモスを相手とした、以下のような具体的な議論内容と共に述べられる。
第7章では、ソクラテスが、
ことが述べられる。
第8章では、『ソクラテスの弁明』における裁判前・裁判後の記述と同内容の記述を付け加えつつ、ソクラテスは死に様も、また(本書で述べてきたように)その生涯も、立派なものであったと褒め称えつつ、締めくくられる。
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