セーニ (イタリア)
コムーネ ウィキペディアから
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セーニ(イタリア語: Segni)は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県にある、人口約9,100人の基礎自治体(コムーネ)。
セーニ Segni | |
---|---|
行政 | |
国 | イタリア |
州 | ラツィオ |
県/大都市 | ローマ |
CAP(郵便番号) | 00037 |
市外局番 | 06 |
ISTATコード | 058102 |
識別コード | I573 |
分離集落 | Pantano |
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 |
地震分類 | zona 2B (sismicità media) |
気候分類 | zona E, 2331 GG |
公式サイト | リンク |
人口 | |
人口 | 9,134 [1] 人 (2019-01-01) |
人口密度 | 149.7 人/km2 |
文化 | |
住民の呼称 | segnini |
守護聖人 | San Bruno |
祝祭日 | 7月18日 |
地理 | |
座標 | 北緯41度41分 東経13度01分 |
標高 | 668 (187 - 1378) [2] m |
面積 | 61.03 [3] km2 |
ローマ県におけるコムーネの領域 | |
ポータル イタリア |
現代のイタリア語以外の言語では、以下の名称を持つ。
ローマ県南東部のコムーネ。
隣接するコムーネは以下の通り。カッコは県名略記号。
古代ローマの資料によると、紀元前6世紀、王政ローマの第7代王タルクィニウス・スペルブスは、この地にローマの植民都市を建設し、のちにシグニアと呼ばれるようになった[4]。紀元前495年に追加の植民者が送られたと記録されている[5][6]。
古代の建築は、主に共和制時代にさかのぼるものが残っている。これには、多角形の石積みを使用して建てられた防壁も含まれる。防壁には、巨石を軒縁 (architrave) に用いた Porta Saracena などの城門のシステムが組み込まれている。セーニの古代アクロポリスの頂上には、ユーノー・モネータの寺院の基壇が残っており、中世(10世紀)に築かれた聖ペテロ教会を支えている。
セーニは、12世紀半ばに王宮を建てた教皇エウゲニウス3世をはじめ、さまざまな教皇たちが避難所として用いた。オルシーニ家の宿敵であるマルシ伯爵家 (Counts of Marsi) は、12世紀にセーニを獲得し、コンティ家(コンティ・ディ・セーニ家)と呼ばれるようになった一族からは、数人の教皇(インノケンティウス3世、グレゴリウス9世、アレクサンデル4世)と多くの枢機卿を輩出した。
1558年、教皇パウルス4世と戦っていたアルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドの軍隊によってセーニは略奪された。カンパーニャ (it:Campagna e Marittima) の他の町の住民も逃げ出したため、膨大な戦利品が捕獲された。
広域行政組織である山岳部共同体 XVIII Comunità dei Monti Lepini (it) に属する。
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