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スリム・ハーポ (英語: Slim Harpo, 1924年1月11日[1][2] - 1970年1月31日)は、アメリカ合衆国のブルース・シンガー、ハーモニカ奏者、ギタリスト。本名は、ジェイムズ・アイザック・ムーア。1957年にエクセロ・レコードよりレコード・デビュー。ジミー・リードにも通ずるぬるま湯に浸かったような緩いサウンドで、レーベルの看板スターとなった。
1924年、バトンルージュ近郊の小さな町、ロブデルに生まれる。少年時代はラジオから流れてくるブルースを聴き、ハーモニカをプレイするようになった。この頃の一番のアイドルは、ブラインド・レモン・ジェファーソンだった。
18歳のとき、家を出てニューオーリンズで港湾作業員として働くがすぐに故郷に戻った。地元では建設作業員として働いた[3]。一方、ジューク・ジョイントやクラブ、路上で演奏活動も展開し、ハーモニカ・スリムの芸名で親しまれるようになった。
1955年、エクセロ・レコードのアーティストだったライトニン・スリムが同レーベルのレコード・プロデューサー、ジェイ・ミラーに彼を紹介し、ライトニン・スリムのサイドマンとしてレコーディングに参加するようになった[1]。
1957年、同レーベルで初の自己名義のレコーディングを行う。レコード・デビューに際し、ハーモニカ・スリムというアーティストが既にカリフォルニアで活動していることをミラーから知らされ、芸名をスリム・ハーポに変更する。これは彼の妻ラヴェルのアイデアで、ハーモニカ・スリムという名前をもじったものだった[1]。
同年、デビュー・シングル「Got Love If You Want It」をリリース。以後、「Rainin' In My Heart」(1961年)、「Shake Your Hips」(1966年)、「Tip On In, Part 1」(1967年)、「Tee-Ni-Nee-Ni-Nu」(1968年)など次々とリリースを重ねた。特に1965年の「Baby Scratch My Back」は翌年、ビルボードのR&Bチャートの第1位という大ヒットを記録した[4]。
1970年1月31日、46歳で心臓発作によって急死した[1]。ライトニン・スリムとともに初のヨーロッパ・ツアーに出ることが決まった矢先のできごとであった。このツアー中には、イギリスのミュージシャン達とのレコーディングも予定されていた[5]。
ハーポは、ルイジアナ州ポートアレンに埋葬されている[6]。
スリム・ハーポの与えた影響はブルースにとどまらず、ロック・アーティストにも及んでいる。特にローリング・ストーンズへの影響は大きかったと言われており[5]、「I'm A King Bee」、「Shake Your Hips」の2曲をカバーしている。 その他のカバーには、ヤードバーズの「Baby Scratch My Back」、アレックス・チルトンの「Tee-Ni-Nee-Ni-Nu」、ニール・ヤングの「Rainin' In My Heart」、プリティ・シングス、キンクスの「Got Love If You Want It」などがある。
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