ジョナサン・デミ
アメリカの映画監督 ウィキペディアから
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ジョナサン・デミ(Jonathan Demme、本名:Robert Jonathan Demme、1944年2月22日 - 2017年4月26日[2])は、アメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサー、脚本家。
ジョナサン・デミ Jonathan Demme | |||||||||||||||||||||||||||||
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本名 | Robert Jonathan Demme | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1944年2月22日 | ||||||||||||||||||||||||||||
没年月日 | 2017年4月26日(73歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||
出生地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ロングアイランド | ||||||||||||||||||||||||||||
死没地 | ニューヨーク州[1] | ||||||||||||||||||||||||||||
職業 | 映画監督 | ||||||||||||||||||||||||||||
著名な家族 | テッド・デミ(甥) | ||||||||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||
『メルビンとハワード』 『羊たちの沈黙』 『フィラデルフィア』 『レイチェルの結婚』 | |||||||||||||||||||||||||||||
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ニューヨーク州ボールドウィン出身。映画監督のテッド・デミは甥にあたる。フロリダ大学で獣医学を学ぶが、自分の能力に限界を感じ、中退する。大学在学中に学内新聞の映画評を執筆した経験を生かそうと、地方新聞の職を得るが、父親の紹介で映画会社の宣伝マンとなり、数年間働く。その仕事を通じてロジャー・コーマンと出会い、1971年から1976年までコーマンの下で働く。
初期はプロデュースや共同執筆をし、ロジャー・コーマン監督作品の『レッド・バロン』に参加し、インディーズ映画の監督となる。コーマンの設立した低予算インディペンデント製作会社ニューワールド・ピクチャーズで1974年『女刑務所/白昼の暴動』で映画監督デビューし、1976年の『怒りの山河』まで3本の映画をここで撮り、1980年公開の『メルビンとハワード』でニューヨーク映画批評家協会賞監督賞を受賞。
1991年公開の『羊たちの沈黙』でベルリン国際映画祭監督賞とアカデミー監督賞をダブル受賞。作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞の5部門を制覇した3本の映画の一本、及びホラー映画としては2022年現在に至るまで唯一のアカデミー作品賞受賞作となる。その2年後には監督した『フィラデルフィア』で主演を務めたトム・ハンクスがアカデミー主演男優賞を受賞し、こちらも高い評価を得た。
ドキュメンタリー映画も10本以上撮っており、特にトーキング・ヘッズのライブ映画『ストップ・メイキング・センス』は、史上最高の音楽ドキュメンタリーの一つとして現在でも高く評価されている。2007年のジミー・カーター元大統領を取り上げた『Man from Plains』ではヴェネツィア国際映画祭バイオグラフィルム賞を受賞した。
『羊たちの沈黙』のインパクトが強すぎたせいで、低迷期には一発屋と揶揄されることもあったが、2008年公開の『レイチェルの結婚』はヴェネツィア国際映画祭に出品され高い評価を受けた。
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