サッファーフ
ウィキペディア フリーな encyclopedia
アブー・アル=アッバース・アブドゥッラー・イブン・ムハンマド・アッ=サッファーフ(アラビア語: أبو العباس عبد الله بن محمد السفاح、Abu al-`Abbās `Abdu'llāh ibn Muḥammad as-Saffāḥ、722年[1][2] - 754年6月10日)は、アッバース朝の初代カリフ(在位:750年1月25日 - 754年6月10日)。
概要 サッファーフ أبو العباس عبد الله بن محمد السفا, 在位 ...
サッファーフ أبو العباس عبد الله بن محمد السفا | |
---|---|
カリフ | |
| |
在位 | 750年1月25日 - 754年6月10日 |
別号 |
アミール・アル=ムウミニーン أَمِير ٱلْمُؤْمِنِين |
全名 |
アブー・アル=アッバース・アブドゥッラー・イブン・ムハンマド・アッ=サッファーフ أبو العباس عبد الله بن محمد السفاح |
出生 |
722年 ウマイヤ朝、レバント属州、フマイマ村 (現 ヨルダン) |
死去 |
754年6月10日(33歳没) アッバース朝、アンバール (現 イラク) |
埋葬 | イラク、アンバール |
配偶者 | ウンム・サルマ |
子女 |
ムハンマド ワイタ |
家名 | アッバース家 |
王朝 | アッバース朝 |
父親 | ムハンマド・イブン・アリー |
母親 | ライタ・ビント・ウバイドゥッラー |
宗教 | イスラム教スンナ派 |
テンプレートを表示 |
閉じる
通称(クンヤ)はアブー・アル=アッバース(Abu al-`Abbās)。称号(ラカブ)のサッファーフ(as-Saffāḥ)は「惜しみなく注ぐ者」「財を与える者」を意味し、即位の時に行ったフトバ(説教)に由来する[2][3]。また、サッファーフという言葉には「血を流す者」という意味もあり、サッファーフが大規模な粛清を行ったこと[4]、ウマイヤ家の残党狩りに熱心だったことから[2][5]、そうしたラカブが付けられたとする説もある。
即位後にサッファーフは内外の敵から勝利を収め、跡を継いだ兄マンスールによる国家体制構築の基盤を作り上げた[5]。しかし、国家は安定した状態に置かれていたとは言い難く、北方の領土はしばしばビザンツ帝国の攻撃に晒されていた[6]。