コルシカ王国(コルシカおうこく、イタリア語: Regno di Corsica、ドイツ語: Königreich Korsika)は、コルシカ島に1736年の8か月間だけ存在した王国である。コルシカ島民がドイツ人の冒険家テオドール・シュテファン・フレイヘル・フォン・ノイホフ[1]をコルシカ王に戴冠して成立した。

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公用語 イタリア語
コルシカ語
フランス語
ドイツ語
首都 セルヴィオーヌ; コルテ
国王
1736年 - 1736年 テオドロ1世
変遷
建国 1736年3月
解体1736年11月11日
通貨ソルディ
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コルシカ王国
Regno di Corsica
Königreich Korsika
ジェノヴァ共和国 1736年 - 1736年 ジェノヴァ共和国
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(国旗) (国章)
国の標語: 知恵と力が圧政者を打倒する
国歌: 神が汝を救い給う、女王よ
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1737年にテオドロ1世が発行したコルシカ島の地図

歴史

テオドール・フォン・ノイホフは、ジェノヴァにおいてコルシカの独立運動家たちと知遇を得た。彼らはノイホフにジェノヴァ共和国の圧政からコルシカを救うよう求めるとともに、「コルシカ王」となることを持ちかけた。これに応じたノイホフは、チュニジアフサイン朝ベイの助力を得て、1736年3月に軍勢を連れてコルシカ島に上陸した。島民はノイホフをコルシカ王に選出し、戴冠した。ノイホフはテオドロ1世を名乗り、王として騎士団創設やジェノヴァ共和国との戦争を命じる勅令を発した。当初は度々勝利を収めたものの、コルシカ独立派内の抗争が勃発し、最終的に敗北した。共和国はノイホフの首に懸賞金をかけるとともに彼のスキャンダラスな過去を暴く文書を出版した。コルシカ島上陸からわずか8か月後の11月、ノイホフは外国の援助を求めに行く体でコルシカ島を逃れた。スペインナポリ王国に保護を求めた後ホラントに向かったが、アムステルダムで借金を理由に一時拘束された。

その後

テオドール・フォン・ノイホフは1756年にロンドンで死去した。その前年の1755年、パスカル・パオリがジェノヴァ共和国を再びコルシカ島から追い出し、コルシカ共和国を建国していた。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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