グレッグ・ノーマン
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グレゴリー・ジョン・ノーマン(Gregory John Norman AO、1955年2月10日 - )は、オーストラリア・クイーンズランド州マウント・アイザ出身のプロゴルファー。ホホジロザメを意味するホワイト・シャーク(White Shark)というニックネームで知られている。
1976年にプロ入り。世界各国で合計68勝を挙げている。全盛期にはゴルフ世界ランキング1位を通算「331週」保持しており、これはワールドゴルフランキング制度が発足した1985年以降ではタイガー・ウッズに次ぐ記録である。1986年と1993年の2度、ジ・オープンで優勝している(第115、122回大会)。特に、1986年は「ノーマンの年」「グレグ・イヤー」と言われるほど、世界を舞台に活躍した。四大メジャー大会すべてで、54ホール終了時点で首位に立ち、最終日に最終組で廻り「ノーマンスラム」「サタデースラム」と呼ばれているが、メジャー優勝は全英オープンのみ。イギリス・ヨーロッパ・オーストラリアでの6戦連続勝利などを経て、全豪オープンでテリー・ゲイルに1打差で勝利して、このシーズンは10勝を挙げた。なお、ノーマンの7連勝を阻んだのはマイク・ハーウッドであり、ハーウッドの地元のキャッスルヒルカントリークラブ(パー72)開催の全豪プロ選手権で最終日にコースレコード64で廻ってノーマンに2打差で勝利したが、これは同時にノーマンの大会3連覇を阻止するものであった。1993年のロイヤルセントジョージズでのジ・オープンにはブッチ・ハーモンとスイング改造して臨み、全英オープン最少打数で4日間ラウンドして、2度目で最後のメジャー優勝。
アメリカPGAツアーでは通算18勝を挙げており、2度の全英優勝を含めた合計勝利数が20勝となったためPGAツアーの永久シード選手となっている。
これだけの実績にも拘わらず、アメリカ開催のメジャー大会では2位が8度あるなど、たびたび優勝争いには加わるものの、タイトルには縁がなく、多くの大会で辛酸をなめてきた。とりわけ1996年のマスターズ・トーナメントでは、初日にコースレコードをマークするなど3日目までは2位と6打差の単独首位で最終日を迎えながら、最終ラウンドで「78」(6オーバー)をたたき、優勝したニック・ファルドに逆に5打差をつけられて大逆転負けを喫した。
日本のツアーでは1989年の「国際招待ゴルフ・中日クラウンズ」と、1993年の「住友VISA太平洋マスターズ」で優勝している。また、1977年の「くずは国際トーナメント」(2日間競技)でも優勝。当時は670ヤードを超えていたために最低でも4オンが必要だと言われていたぐらい、くずは国際ゴルフ場[1]で最難関であった超ロングホールの10番ホールを3オンで決めるなどして、同大会をぶっちぎりで優勝した[2]。
2008年、元女子プロテニスプレイヤーのクリス・エバートと再婚。その後に開催された全英オープンでは3日目まで首位にいながら、最終日にパドレイグ・ハリントンに逆転され3位に終わる。クリス・エバートとは2009年10月に離婚した。
日本のプロゴルファー青木功とは長年の親友であり、青木が左肘を故障した際には、主治医の紹介やその後のケアなどにも心配りがあったという。青木が世界ゴルフ殿堂入りした際には、そのプレゼンターを務めた。また元F1チャンピオンのナイジェル・マンセルとも親友で、マンセルは自分の次男に「グレグ」と名付けている。
多方面のビジネスも手がけており、近年はゴルフコース設計やワイン販売など実業家としての活動も行っている。
2014年からはフォックス放送のゴルフ中継においてノーマンがホストを務めるフランクリン・テンプルトン・シュートアウトやUSGA主催の全米オープンの解説者を務めていた。
しかしノーマンはサウジアラビア資本のLIVゴルフのCEO就任と同時にリブゴルフ・インビテーションシリーズを立ち上げる。
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