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エーゲ海
海 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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エーゲ海(エーゲかい、英: Aegean Sea)は、地中海の一部を構成する海域。バルカン半島とアナトリア半島に囲まれた入り江状の海域で、面積は21.5万平方キロメートルにおよぶ[1]。北はダーダネルス海峡を経てマルマラ海に、さらにボスポラス海峡を通じて黒海に接続する。域内にはクレタ島やロドス島など、エーゲ海諸島と総称される島々がある。最大水深は2,639メートル(カルパトス島の西の沖)。副海域として、トラキア海やクレタ海がある。
エーゲ海諸島はドデカネス諸島やキクラデス諸島、スポラデス諸島、北エーゲ海諸島、クレタ島とその付属島嶼などに分類できる。エーゲ海南東のドデカネス諸島にはロドス島やコス島、パトモス島、キクラデス諸島にはデロス島やナクソス島、北エーゲ諸島にはレスヴォス島などが含まれる。ギリシャの島で二番目に大きいエウボイア島もエーゲ海に所在するが、行政上は中央ギリシャ地方に所属する。ギリシャの12の地方のうち、9つがエーゲ海に面しているほか、東岸にはトルコのエディルネ県、チャナッカレ県、バルケシル県、イズミル県、アイドゥン県、ムーラ県がある。トルコ領の島としてはギョクチェアダ島(インブロス島)、ボズジャ島(テネドス島)、ジュンダ島(アリベイ島)、フォチャ諸島が挙げられる。
歴史的には古代ギリシア文明の時代から重要な海域で、沿岸部やエーゲ海諸島の各地から当時の遺跡が発見されている。エーゲ海が多島海であることが、域内やヨーロッパとアジアのあいだの人々の往来を容易にした。ギリシア人に加えて、北部にはトラキア人が定住していた。その後、ローマ人に征服されてローマ帝国の支配下に入り、のちビザンティン帝国領となった。ビザンティン帝国は第一次ブルガリア帝国の侵略は防いだが、第四回十字軍の結果弱体化し、最終的にオスマン帝国に滅ぼされた。1669年には、例外的にヴェネツィア共和国領に留まっていたクレタ島もオスマン帝国の前に陥落した。ギリシャ独立戦争後の1829年にギリシャが建国されて以降も、今日のトルコが成立するまでの500年にわたりオスマン帝国はエーゲ海地域に対する影響力を持ち続けた。
地質は主に石灰岩からなるが、時折この一帯を揺るがす火山活動によって一変することがある。とりわけ、サントリーニ島やミロス島の石灰岩は、その美しい色合いから人気が高い。沿岸の都市としては、ギリシャのアテネやテッサロニキ、ヴォロス、カヴァラ、イラクリオン、トルコのイズミルやボドルムがある。
トルコとギリシャのあいだではエーゲ海における領海、領空、排他的経済水域、飛行情報区の画定をめぐって争いがあり、1970年代以降、エーゲ海紛争として両国間の大きな係争案件となっている[2]。