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ウォレス・ルーニー(Wallace Roney、1960年5月25日 - 2020年3月31日)は、アメリカ合衆国のジャズ(ハード・バップ、ポスト・バップ)・トランペッターである[1][2]。
ウォレス・ルーニー Wallace Roney | |
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ウォレス・ルーニー(2012年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1960年5月25日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア |
死没 | 2020年3月31日(59歳没) |
ジャンル | ジャズ |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | トランペット |
活動期間 | 1975年 - 2020年 |
共同作業者 |
マイルス・デイヴィス クラーク・テリー ディジー・ガレスピー |
公式サイト |
www |
ウォレス・ルーニーは、クラーク・テリーとディジー・ガレスピーからの教示を得た後、マイルス・デイヴィスより1985年から1991年に亡くなるまでの間に多くを学んだ。ルーニーは、デイヴィスが音楽のインストラクターであり、助言者であり、友人であったばかりでなく、人生に向かって創造的な取り組みに挑戦していった人物と信じていると語っている。ルーニーは、デイヴィスが個人的に助言者となった唯一のトランペット奏者だった[3]。
ルーニーはフィラデルフィアで生まれた。マサチューセッツ州ボストンのハワード大学とバークリー音楽大学に通い、コロンビア特別区パブリックスクールズにあるデューク・エリントン芸術学校を卒業した後、ボルティモア交響楽団のラングストン・フィッツジェラルドとトランペットを学んだ[3]。ルーニーは4歳のときに絶対音感を持っていることがわかり、フィラデルフィア・セトゥルメント音楽学校にて音楽とトランペットを学び始めた[1]。
3年間、フィラデルフィア管弦楽団のトランペット奏者シグモンド・へリングに師事[4]。ヘリングは、ルーニーがフィラデルフィアで勉強している間、フィラデルフィア・ブラス・アンサンブルとともに、セトゥルメント音楽学校のリサイタルへとルーニーを定期的に参加させた。
ルーニーはデューク・エリントン芸術学校に入学したとき、すでに15歳でネイションとハキ・マブティとのレコーディング・デビューを果たしており、そのときにビル・ハードマン、ヴァレリー・ポノマレフ、ウディ・ショウ(親しい人物だった)、ジョニー・コールズ、フレディ・ハバードと出会った。彼は高校の先生からの励ましのもと、16歳でビリー・ヒギンス、サム・ジョーンズ、フィリー・ジョー・ジョーンズをフィーチャーしたシダー・ウォルトン・カルテットで演奏した[1]。
ルーニーは、ワシントンD.C.エリアで才能ある地元の演奏家としての地位を獲得していった。1979年と1980年に、ルーニーは『ダウン・ビート』誌の最優秀ヤング・ジャズ・ミュージシャン・オブ・ザ・イヤーを受賞し、1989年と1990年には、『ダウン・ビート』誌の批評家投票で注目に値するベスト・トランペッターとなった。
1983年、マンハッタンの「ボトムライン」にてマイルス・デイヴィスへのトリビュートに参加している間に、自分のアイドルであるデイヴィス本人に出会った[5]。「彼(デイヴィス)は、私がどんなトランペットを持っているのかと私に尋ねたんです」と、ルーニーは『タイム』誌に語っている。「でも私は彼に何も言えなくて。そうしたら彼は私に彼のトランペットをひとつ譲ってくれたんです」。1984年と1985年、かつてジャズ・シーンの主要な部分を担っていたニューヨークのクラブがほとんど姿を消したため、ラテン・ダンスやレセプション・バンドでの演奏を余儀なくされた。しかし、1986年のまったく同月に、ドラマーのトニー・ウィリアムスとアート・ブレイキーから一緒にツアーを行ってほしいという2本の依頼電話を受けることとなり、その後、ルーニーはプロのサーキットで最も需要の高いトランペット奏者の1人となっていった。
1986年、ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズで、テレンス・ブランチャードの後を引き継いだ[1]。1980年代後半から1990年代初頭にかけては、ウィリアムスのクインテットに不可欠なメンバーとなった。1991年、ルーニーはモントルー・ジャズ・フェスティバルでデイヴィスと共演した。その年のデイヴィスの死後、ルーニーはデイヴィス・バンドの卒業生であるウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスと一緒に追悼ツアーを行い、グラミー賞を受賞したアルバム『マイルス・デイヴィス・トリビュート』をレコーディングした[6]。
ルーニーは自身の演奏技術をマイルス・デイヴィスから直接学んだ[5][6]。批評家は、ルーニーを彼のアイドルであるデイヴィスに似すぎているように聞こえることが課題であるとした。ルーニーは、1987年にリーダーとしてのデビュー・アルバム『ヴァーセス』をミューズ・レコードにてレコーディングした。ミューズ、ワーナー・レコード、コンコード・レコード / ストレッチ・レコードといったレーベルからのアルバムも数多くリリースされ、2000年に40歳になるまでの間、ルーニーは250枚を超えるオーディオ・レコーディングを行っている。2000年代のアルバム・タイトルには、ハイノート・レコードからの『Mystikal』(2005年)と『Jazz』(2007年)がある。最近の2枚のアルバム『A Place in Time』と『Blue Dawn-Blue Nights』[3]では、甥でドラマーのコジョ・ルーニーをフィーチャーしている[1]。
ウォレス・ルーニーは、アメリカ合衆国連邦保安官で、米国行政府職員連合ローカル102のトップを務めたウォレス・ルーニーの息子であり、フィラデルフィアのミュージシャンであったルーズベルト・シャーマンの孫であり、テナーサックスとソプラノサックス奏者のアントワーヌ・ルーニーの兄だった[3]。1995年、ルーニーはピアニストのジェリ・アレンと結婚し、2人の娘と1人の息子をもった[5]。結婚はアレンが2017年に亡くなる前に破綻していた[7]。この2人のアーティストは、1990年代と2000年代の多くにおいて、それぞれのアーティスト名でリリースされたレコードを共同制作している。
ウォレス・ルーニーは、2020年3月31日、ニュージャージー州パターソンにあるセント・ジョセフ大学医療センターにて59歳で亡くなった。死因はCOVID-19から生じた合併症であった[8]。
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