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アメリカの国立公園 ウィキペディアから
イエローストーン国立公園(イエローストーンこくりつこうえん、英語: Yellowstone National Park)は、アイダホ州、モンタナ州、及びワイオミング州に位置するアメリカ合衆国の国立公園である。1872年に世界初の国立公園に指定されており [1]、ワイオミング州北西部を中心として3470平方マイル(8980平方キロメートル)にわたる。この国立公園には様々な間欠泉や温泉、地熱による観光スポットが散在していることで有名であるが、グリズリーやオオカミ、アメリカバイソン(バッファロー)やワピチ(エルク)の群れが生息していることでも知られる。ここは地上に残された数少ない手付かずの巨大温帯生態系の一つであるイエローストーン圏生態系の中心になっている。アメリカで最も人気のある国立公園で、2015年には410万人の観光客が訪れた。
イエローストーン地区は北アメリカ大陸最大の火山地帯である。2015年現在、数百カ所から熱水を噴き上げている[2]。2014年には、1900回以上の地震を記録した[3]。イエローストーン火山の根源となるホットスポットは地殻に固定されているが、イエローストーン国立公園を乗せた北アメリカプレートは南西方向に1年間に約4センチメートル移動しているので、イエローストーンの南西方向にはプレートの動きに平行して多くの噴火口跡が存在する。最古の噴火口は1800万年前のものである[4]。イエローストーン国立公園では1890年以来、温泉や間欠泉で大火傷を負うなどして少なくとも22人が死亡している[5]。
巨大カルデラの形成を伴う超巨大な噴火が約210万年前、約130万年前、約64万年前の計3回起きたことが知られる[6]。最後のカルデラ噴火は64万年前であるが、その噴火は比較的小さな噴火であったにも拘らず、セント・ヘレンズ山の1980年の噴火の1000倍の溶岩が噴出し、火山灰の地層はメキシコ湾に達する範囲で観察されている[2]。直径60キロメートルの火口が形成され[2]、1500キロメートル離れた場所でも3メートルの火山灰が堆積し[2]、現在のアメリカ合衆国の面積の半分を覆ったとされる[2]。210万年前の噴火では、ギャラティン山脈の南側長さ80キロメートルの部分が吹き飛び、噴火後はカルデラ内の平地となった。それ以外にも小規模な噴火は約7万年前まで続いたが、その後は噴火は起きていない。
アメリカ地質調査所は、2004-2006年にかけてイエローストーン公園の東西80キロメートル南北30キロメートルの範囲で地盤が最大12センチメートル上昇したことを報告している[2]。これはそれまで観察されなかった現象で[2]、その後も地盤の上昇が継続している[2]。アメリカ地方紙デンバーポストは、米国地質監査局のリーズ地質科学者が、1999年にイエローストーン公園内の湖の底で高さ30メートル以上、長さ700メートルの巨大な隆起を発見したと伝えている。ノリス間欠泉地帯は、最も人気がある観光スポットだったが、地面の温度が100度を超えた地点が出たり、新しい間欠泉が出現し、遊歩道まで熱泥が溢れ出したため、2003年に立ち入り禁止となった。
2015年に発表されたユタ大学の過去45000回の地震を解析した研究では、イエローストーンの地下20キロメートルから50キロメートルまでに、東西80キロメートル南北40キロメートル(容積は約4.6万立方キロメートル[注 1])の世界最大のマグマだまりがあるとされ[2]、ホットプルームからのマグマの供給を受けている[2]。そのマグマだまりに貯蔵されたマグマは、カルデラ直下にある別のマグマだまり(1万立方キロメートル)に入る。これらの推定は、研究者がそれまで知られていたものよりも深い場所にあるマグマだまりに原因があると考えていた、イエローストーンから毎日放出されていた45トンもの二酸化炭素の説明において重要である[7][8][9][10]。
イエローストーンは60-70万年前毎の周期で巨大噴火を起こしており、前回の巨大噴火より既に60万年が経過しているので、いずれ近いうち(近いといっても地質学的時間スケールであって数千年から数万年)に巨大噴火が起こることが予想されている。噴火の規模は最悪ピナトゥボ山の噴火(1991年)の100倍以上の規模になるとされる[2]。 ユタ大学イエローストーン火山観測所のボブ・スミス所長によれば、超巨大噴火が起きた場合、イエローストーン国立公園は完全に消えてなくなるという[11]。イギリスの科学者によるシミュレーションでは、もし破局噴火が起きた場合、3-4日内に大量の火山灰がヨーロッパ大陸に着き、米国の75%の土地の環境が変わり、火山から半径1000キロメートル以内に住む90%の人が火山灰で窒息死し、地球の年平均気温は最大10度下がり[2]、その寒冷気候は6年から10年間続くとされている[1]。
この地域と人との関りは1万2千年前にまで遡り、地域内の大峡谷周辺の鉄分を含む黄色い石の存在から、インディアン達に“Mitzi-a-dazi”(「黄色い石のある川」の意)として知られていた(黄色い色は一般に信じられている様に硫黄分の色ではなく、熱水作用によって変色した鉄分の色である)。
イエローストーン地区で産出される黒曜石は、一帯で狩猟していたインディアン達によって石鏃やナイフとして利用されていた。それらは遠くミシシッピ川周辺でも発見されており、イエローストーン周辺で生活していた部族と、はるか東方の部族との交易を示唆する物とされている。
1806年にルイス・アンド・クラーク探検隊を離れて猟師達に加わった元隊員のジョン・コルターが、非インディアンとして初めてこの地域を訪れたとされている。その後、クロウ族とブラックフット族の戦いに巻き込まれて負った重傷の床で、彼はこの地を「火と硫黄」の地であると述懐した。しかしこの記述は熱に冒されていたためのうわごとだと捉えられ、人々はその土地の事を「コルターの地獄」と呼んだ。
1857年にイエローストーン地区を探検したジム・ブリッジャーは沸騰する泉や空高く飛び出す水、ガラスや黄色い石で出来た山の事を人々に話したが、ブリッジャーは法螺吹きとして通っていた為にほとんど信じてもらえなかった。しかし彼の話に興味を持った探険家兼地質学者のフェルディナンド・ヴァンデヴィア・ヘイデン(en:F.V. Hayden)は、1859年にブリッジャーとアメリカ陸軍測量官のレイノルズを伴って2年の予定でミズーリ川上流の測量の旅に出かけた。一行はイエローストーン地区の入り口まで達したが、豪雪のために先に進めなかった。更に南北戦争のために探検は中止を余儀なくされ、ヘイデンが探検を再開するのは11年後になる。
モンタナ州測量長官ヘンリー・ウォシュバーン率いる探検隊は、後にイエローストーン国立公園初代管理官となったナサニエル・ラングフォードや陸軍派遣隊司令官グスタフ・ドーンと共に1870年に1ヶ月間イエローストーン地区を探検。地域の山などを名付け、標本を持ち帰った。
1871年、ヘイデンは政府支援により大規模な2度目の探検隊を率いてイエローストーン地区に赴いた。ヘイデンはイエローストーンの総括報告書をまとめ、その中にはウィリアム・ヘンリー・ジャクソンによる写真や、トーマス・モランによる絵が含まれていた。このレポートによって議会はイエローストーン地区をオークションにかけて売却する案を変更し、1872年3月1日にユリシーズ・グラント大統領はイエローストーン国立公園を設立する法案に署名した。
1872年に世界で最初の国立公園として指定される。1976年にユネスコの生物圏保護区に(グランドティトン地域と共同)[12]、1978年に世界遺産に登録された[1]。
隣接する保留地(Reservation)を持つショーショーニー族、バンノック族などは、伝統文化としてのバッファロー狩りを19世紀末に合衆国政府から禁止されてきたが、長年の要求運動によって1990年代に狩猟権を回復し、現在、イエローストーン内でのバッファロー狩りを年に数度行っている。
20世紀前半に平原オオカミが白人牧場主による組織的な駆除によって絶滅し、公園内の生態系のバランスが崩れていたが、周辺のインディアン部族の粘り強い復活請願が実り、1995年より人間の手で生態系への再導入が行われ、生態系の再構築に成功した。この再導入は違法であるという判決が一時下されたものの、控訴審でその判決が覆された。ネ・ペルセ族が要請を受け、オオカミの管理育成にあたっている。
バッファロー(バイソン)やアメリカアカシカ(エルク)は公園内に豊富に生息している。プロングホーン(北米カモシカ)やコヨーテはラマー・バレー付近で頻繁に見かけられる。熊の数は多くはないが、それでもハイイログマは約750頭以上生息している[13]。2010年から2015年の間に国立公園内でハイイログマに襲われて6名が亡くなっている[13]。 公園当局は、バイソンやヘラジカ、オオツノヒツジ、シカ、コヨーテなど大型の動物からは25メートル以上、クマやオオカミからは100メートル以上の距離を保つよう呼び掛けている[14]。
駆除によって絶滅したオオカミの再導入が1995年から実施された。
大きく5つの地域に区分できる
1978年に世界遺産第1号として登録された12箇所のうちの1つ。 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
この国立公園を記念して「イエローストーン・バーボン」と命名されたバーボン・ウイスキーもある[15]。この銘柄は、他のバーボンよりも厚い木材で作った樽で熟成が行われており、禁酒法の時代には、医薬品として販売されていたことでも知られている[15]。
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