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『アーサー王の死』(アーサーおうのし、Le Morte d'Arthur) は、15世紀後半にウェールズ人の騎士トマス・マロリーによって書かれた長編作品。内容はアーサー王の出生にはじまり、円卓の騎士たちの活躍、ランスロットとグィネヴィアの不義、最後の戦い、アーサー王の死までを含む、中世のアーサー王文学の集大成ともいえる作品である。
作者トマス・マロリーは、1450年代初期からこの長大な作品の制作を開始し、1450年代のたびたびの投獄中にもこの大作の執筆を続け、出獄後、早くとも死(1471年3月14日)の2年前より遅い時期、かつ1470年までにこの大作を完成したとされている。そしてトマス・マロリーの死後の1485年、出版業者ウィリアム・キャクストンの手によって印刷・出版された。1934年にウィンチェスター・カレッジで作品の写本、通称「ウィンチェスター写本版」が発見されるまでは、この1485年の通称「キャクストン版」が最古で、トマス・マロリーの原典に最も近いとされていた。
ウィンチェスター写本版の発見によって、トマス・マロリーが1470年までに書き上げた段階では本書は『アーサー王と高貴な円卓の騎士』(The Hoole Book of Kyng Arthur and of His Noble Knyghtes of The Rounde Table)という題であったが、ウィリアム・キャクストンが1485年にこれを出版する際、『アーサー王の死』(中世フランス語で Le Morte Darthur)と改題した[1]と判明した。現代英語圏では、トマス・マロリーの意思と構成を尊重し、様々な作家が、原題に準ずる題名で、アーサー王伝説、円卓の騎士物語、トリスタンとイゾルデ伝説、聖杯伝説などを脚色した作品を主に若者向けに出版している。
1892-93年にJ.M.Dent, London が1800冊限定で出版した2冊本[2]は オーブリー・ビアズリーが挿絵を手掛けており、井村君江訳による筑摩書房版の表紙にも使われた。
1953年にPuffin Booksで出版された児童向けのロジャー・ランセリン・グリーンの本[3]はその後何度も復刻されている。
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