アンティオキア攻囲戦
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「アンティオキア攻囲戦 (968年-969年)」とは異なります。 |
アンティオキア攻囲戦(アンティオキアこういせん、Siege of Antioch)は第1回十字軍の主要な攻城戦の一つ。1097年10月から1098年6月まで、シリア地方の重要都市アンティオキアを舞台に戦われた。
概要 アンティオキア攻囲戦, 交戦勢力 ...
アンティオキア攻囲戦 | |
---|---|
第1回十字軍中 | |
アンティオキアの戦い | |
戦争:第1回十字軍 | |
年月日:1097年10月20日 - 1098年6月28日 | |
場所:アンティオキア | |
結果:十字軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
十字軍 | セルジューク朝系の地方政権連合 |
指導者・指揮官 | |
トゥールーズ伯レーモン ゴドフロワ・ド・ブイヨン タラント公ボエモン ル・ピュイのアデマール |
ヤギ=シヤーン ケルボガ トゥグテギーン |
戦力 | |
25,000[1] | 75,000[1] |
損害 | |
不明 | 不明 |
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第一段階は、十字軍が都市を守るセルジューク朝系のテュルク人などムスリムに対して行った攻城戦で、1097年10月21日に始まり1098年6月2日に都市が陥落して終了した。
第二段階は、アンティオキアを制圧した十字軍に対し救援に駆け付けたムスリム軍が行った攻城戦で、1098年6月7日に始まり6月28日に十字軍が城外でムスリム軍を破り終了した。