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アオウスの戦い(アオウスのたたかい)は、第二次マケドニア戦争中の紀元前198年 に発生した、共和政ローマとアンティゴノス朝マケドニアの戦闘である。戦闘は現在のアルバニアのテペレーネ(en)とケルキレ(en)の間で行われた[1]。ローマ軍の指揮官は執政官ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスであり、マケドニア軍はピリッポス5世が率いた。戦いはフラミニヌスが勝利し、両者は翌年に再びキュノスケファライで戦うこととなる。
アオウスの戦い | |
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戦争:第二次マケドニア戦争 | |
年月日:紀元前198年6月 | |
場所:アオウス川(現在のアルバニア、テペレーネ近く) | |
結果:ローマの勝利 | |
交戦勢力 | |
共和政ローマ | アンティゴノス朝マケドニア |
指導者・指揮官 | |
ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス | ピリッポス5世 |
損害 | |
2,000 | |
ピリッポス5世はアオウス川沿いの渓谷に強力な拠点を築き、マケドニアへの進路を塞いでいた。しかし、ローマ軍は現地で案内人を雇い、4,300人の軍団兵が背後に回ることに成功した。狭い渓谷で挟み撃ちにされることを恐れたピリッポス5世は脱出を試みるが、2,000名の兵士と全ての物資を失った。これでローマはテッサリアに侵攻することができた。勝利したフラミヌスであるが、自身にインペリウム(軍事指揮権)が翌年も与えられるか不明であったために、ピリッポスとの講和交渉を開始する。
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