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青木 徹二(あおき てつじ、1874年(明治7年)9月9日 - 1930年(昭和5年)10月12日)は、明治期の検察官、弁護士、法学者。
岐阜県生まれ。岐阜中学校を中退し、1891年(明治24年)慶應義塾に入学。1897年(明治30年)に慶應義塾大学部法律科を卒業後時事新報社に勤める[1]。翌年判検事試験に合格し、神戸区裁判所検事代理となるも1899年(明治32年)これを辞任し、再び時事新報社に入った[1]。その後、慶應義塾の大学部教員養成のためドイツに派遣され、ベルリン大学などで学ぶ[1]。1902年(明治35年)7月帰国後、大学部法律科で商法を講じた[1]。1910年(明治43年)法学博士となる。1920年(大正9年)、雑誌『東方時論』に「続世相審かし論」を投稿し、不敬罪の廃止を唱えたため、新聞紙法違反で禁固4ヶ月の判決を受ける。その後は法政大学、中央大学に移り教鞭を取る。弁護士として長年務めた。
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