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趙敏(ちょう びん)は、金庸の武俠小説『倚天屠龍記』に登場する人物の一人。モンゴル族で、チャガンテムールの娘であり元朝の紹敏郡主に封ぜられている。モンゴル名はミンミンテムール(敏敏特穆爾)。
趙敏というのは、漢人風に付けた名前であり、「敏」は「紹敏」から付けたもの。姓は「テムール」だが、この漢人名では兄のココテムール(王保保)やチャガンテムール(李察罕)とは同一の宗族でありながら姓が異なることになっており、韋一笑が「漢人だったら笑いものだ」と評している。[1]。
初期はモンゴル側に立ち張無忌らと対立し、悪辣、冷酷な手段を取り、張無忌らを苦しめた。各流派の使い手の指を一本ずつ切り落とすなど、様々な方法で武林に被害を加えた。特に少林寺は、壊滅の危機にまで追いやられた。そのため武林ではかなりの恨みを買っており、張無忌との関係は歓迎されていなかった。
張無忌に敵対していたころは、その知略で無忌らをさんざんに苦しめたが、張無忌と心を通わせた後は、どこか頼りなく決断力に欠ける無忌のブレーンとして活躍。一度は無忌の従妹、殷離を殺害したとの濡れ衣を着せられるが、感情的に反論するのでなく、冷静に対処していた。
また、漢人の女性と異なり、思ったことは口に出すタイプ。憚ることなく張無忌への好意を口にする趙敏に対し、張無忌は困惑するが、まんざらでもなかった。最終的には、父のチャガンテムールと決別し、張無忌とともに生きていくことを宣言。以後は張無忌のよき仲間となる。
チャガンテムールの娘として誕生。兄のココテムールが軍を率いて父と戦場で戦うのに対し、趙敏は武林の弱体化を担当。峨嵋派から倚天剣を奪い、また少林寺を壊滅寸前に追い込むなどの功績を立てる。
張無忌に出会い、徐々に彼に惹かれ始める。しかし、相変わらずモンゴルのために武林に災厄をまき散らし続け、張無忌の師叔である武当派の殷梨亭も両手両足の複雑骨折を負い、再起不能に陥りかけた。このとき、殷梨亭の体を元通りにする「黒玉断続膏」と引き換えに3つの願いを聞き入れさせる約束を取り付けた。
のち、趙敏は1つ目の願いで屠龍刀を見ること、2つめで張無忌と周芷若の結婚を取りやめることを願った。最後の願いについては、作中では使うことがなく、たびたび無忌に対して切り札としてちらつかせて楽しんでいた。
趙敏自身は内力を使うことができないので、戦闘能力はそれほど高くない。その代わり、各流派の使い手の剣術のうち、いい部分のみを習得するという方法で内力のなさを補っている。加えて趙敏は武林の至宝とまで呼ばれる「倚天剣」を使用していた期間が長く、一流の達人ほどではないが、優れた知略も加わって恐るべき敵であった。
また、部下として鹿杖客と鶴筆翁の玄冥ニ老、さらに西域少林寺の達人である阿ニ、阿三、もと丐幇の四大長老の筆頭だった「八臂神剣」の方東白という達人が揃っている。この玄冥ニ老などはかなりの達人であり、張無忌らはかなりの苦戦を強いられた。
殷天正 | |||||||||||||||||||||||||
殷野王 | 殷素素 | 張翠山 | |||||||||||||||||||||||
殷離 | 張無忌 | 趙敏 | |||||||||||||||||||||||
趙敏のモデルとなった人物は、元の将軍だったココ・テムル(王保保)の妹で、モンゴル名の漢字表記は観音奴、明では姓を兄と同じく王氏とされた。洪武4年(1371年)、明軍の捕虜となり、政治的な要因により朱樉(洪武帝の嫡出次男)と結婚した。夫婦仲は悪く、朱樉は次妃(妾妻)鄧氏を寵愛し、王氏は一時は幽閉されて食事も満足に与えられなかった。後、鄧氏は洪武帝の怒りを買って自ら縊死し、王氏は釈放された。朱樉の死後、王氏は洪武帝に命じられて1395年に殉死し、「烈」と諡された。
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