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1956年に結成。リーダー格は南利明であるが、厳密なリーダーではない。トリオコントのはしりではあるが、正式なお笑いグループではなくユニットである。所属事務所は全員異なっていた。
「売れない喜劇役者」だった3人は、この脱線トリオをきっかけにブレイク。テレビへも数多く出演し、タレントとして着々と実力をつけていったが、僅か5年で解散となった。
正式なグループではなかったものの、一応新宿コマ劇場の「脱線物語」で正式に解散公演を行っている。
解散後はそれぞれが単独で俳優として活動した。また、八波の死後に、南と由利の2人でシングルを発表したこともあった。この楽曲はカラオケに収録されている。
お笑いタレントとして活動していたことから、彼らを芸人・タレントと見る人も多いが、彼らの本業はタレントではなく、喜劇俳優である。しかし、トリオ結成当時は俳優としては全く売れていなかった。
1950年代半ばに由利・八波・南は30代前半を迎えていたが、売れない喜劇役者としてそれぞれ細々とストリップ劇場の新宿セントラルのショーの合間の寸劇などの仕事をしていた[注 1]。そこでの仕事が徐々に評判になり出した頃、日本テレビプロデューサーから「『お昼の演芸』(後述)で毎週15分間のコントをしてほしい」との依頼を受ける[1]。
この依頼に有頂天となった3人はその晩飲み明かすが、深夜にタクシー運転手と乱闘騒ぎになってしまい一晩警察の世話になった。翌朝3人が釈放されると、由利が「昨夜は調子に乗って脱線しちゃったな」とぼやいたことがきっかけとなり、ユニット名が脱線トリオに決まったという[1]。
ソロで出演したものは、個人の項参照のこと。
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