神野純一

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神野 純一(じんの じゅんいち、1970年4月14日 - )は、愛知県東海市[1]出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...
神野 純一
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県東海市
生年月日 (1970-04-14) 1970年4月14日(54歳)
身長
体重
177 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1992年 ドラフト7位
初出場 1993年4月10日
最終出場 2003年4月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

小学2年で野球を始め、6年の時に全国大会で準優勝する[1]享栄高等学校では2年先輩に近藤真市長谷部裕、2年後輩に高木浩之がいた。甲子園出場はならず、愛知工業大学へ進む。愛知大学リーグ通算93試合出場、359打数125安打、打率.348、9本塁打、51打点。最優秀選手1回、敢闘賞2回、ベストナイン3回受賞。4年生の時に日米大学野球の全日本メンバーに選ばれた[1]。シーズン個人最多安打記録(92年秋季26安打)を樹立、愛知大学野球リーグ通算安打記録となる125安打を放った[注 1]

1992年のドラフト7位で中日ドラゴンズに入団[1]

主に遊撃手としてプレーし、二塁手三塁手でもプレーしていた。

1996年6月12日にはヤクルトスワローズ戦(ナゴヤ球場)で高津臣吾から9回裏に同点本塁打を含む1試合3本塁打を放った[1]。この年の本塁打数はこの3本だけで、1試合3本塁打がシーズンの全てとなったのは1988年の石橋貢大洋)以来史上2人目。

1997年は出場機会が激減。

1998年には背番号が0から54に降格した。

1999年に右肘を手術[1]。その後は代打の切り札として活躍。サヨナラ打を打つなど活躍も見せ、レオ・ゴメス欠場時には三塁スタメン出場もあった。

2003年をもって現役を引退。現役最後の二軍の試合での結果は三振だった。

現在は、中日のマネージャーとなっている。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1993 中日 1124191200020000050070.105.292.105.397
1994 461088381611019151701701232.193.337.229.566
1995 2559553163012260000400151.291.339.400.739
1996 34887913171032772140401233.215.262.342.604
1997 13534638000852001501120.174.264.174.438
1998 44122102825311331680411302251.245.339.324.663
1999 40102881529333471711401000223.330.398.534.932
2000 661029311204023090130501231.215.263.323.585
2001 304238414300177001030071.368.415.447.862
2002 69867731740227100020403301.221.286.351.636
2003 5550000000000000031.000.000.000.000
通算:11年 383791685691642251223278184252700919014.239.317.339.656
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記録

背番号

  • 0 (1993年 - 1997年)
  • 54 (1998年 - 2003年)

脚注

関連項目

外部リンク

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