神戸商業大学 (旧制)
官立の旧制大学 ウィキペディアから
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旧制神戸商業大学(きゅうせいこうべしょうぎょうだいがく)は、1929年(昭和4年)に設立された旧制官立大学。略称は「神戸商大」。国立神戸大学の前身校である。なお、新制公立大学である兵庫県立神戸商科大学(略称は神戸商大。現兵庫県立大学)とは別の大学である。
この記事では、前身の官立神戸高等商業学校(神戸高商)を含め記述する。
神戸高商校長
神戸商大学長
神戸経大学長
1902年の神戸高商設立時、校地は神戸市葺合町筒井村(現中央区野崎通)に置かれ(葺合校地)、学生からは「筒台」(とうだい)と呼ばれ親しまれた。跡地は現在、神戸市立上筒井小学校、神戸市立筒井台中学校、神戸市立葺合高等学校、神戸海星女子学院の校地となっている。
神戸商大への昇格にあたり校地の移転が計画され、1935年10月に同市灘区高羽嘉太夫新田(現同区六甲台町・六甲台校地)への移転が完了、新学舎竣工式が挙行された[注釈 1]。戦災を免れた六甲台校地は、戦後1946年7月になってGHQにより一部の学舎が接収されるなどしたが、新制神戸大学への移行にあたり本部が設置、法・経・経営3学部の校地として継承され、現在に至っている[注釈 2]。旧制神戸商大時代の建造物としては、本館(現在の神戸大学六甲台本館 / 記事冒頭の画像参照)・附属図書館・兼松記念館(2代目)・講堂が現存し、現役で使用されるとともに国の登録有形文化財に登録されている(画像参照)。
葺合校地の旧・兼松記念館は葺合高校の前身である旧制神戸市立中学校の本館として使用されていたが、戦災により大破。その後損傷の激しい2階部分を除去して1階建に改築され、戦後も長く使用されていた[注釈 3]。
商大(のち経大)予科は、旧御影師範学校(兵庫県師範学校、後の兵庫師範学校)の校舎を仮校舎として使用していたが、1945年6月5日の空襲により仮校舎のほか寄宿舎(学部国維寮、予科思誠寮)、弓道場が全焼した[注釈 4]。焼失後は予科の廃止まで学部校舎(六甲台)を使用した。 御影校舎の跡地は1963年まで新制神戸大学の御影分校として使われた後、2004年3月まで神戸市立御影工業高等学校が使用した。御影の跡地は現在、再開発事業により複合商業施設御影クラッセとなっている。
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