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室町時代中期の大名。畠山義忠の嫡男。 ウィキペディアから
畠山 義有(はたけやま よしあり、生年不詳 - 永享12年(1440年))は、室町時代中期の大名。能登畠山氏の第2代当主・畠山義忠の嫡男。子に義統、政国。
父・義忠の嫡男として生まれる。治部少輔を名乗る。のちに阿波守。妻は竹内氏。文人大名として有名で、石清水八幡宮に和歌百種の奉納を行った。また、自邸で歌会を催すだけでなく、北野社で歌会を行うなどその歌名は高く[1]、のちの能登畠山家の文化的成熟の礎を築いた。
1440年頃、一揆鎮圧に向かう途上で陣没。父に先立っての死去であったため、その後家督は義忠から義有の長男である義統に継がれた。
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