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日本のバレーボール選手 (1978-) ウィキペディアから
宮崎県宮崎市出身。母・(旧姓)脇田代喜美は世界選手権で銀メダルを獲得し、モントリオールオリンピックに出場した元ユニチカのバスケットボール選手。父も弟もバレーボール選手。
宮崎市立高岡中学校入学後、母の影響もあり当初はバスケットをやるつもりだったが、バレー部の先生に誘われてバレーボールを始める[1]。中学3年時にさわやか杯宮崎県選抜に選ばれている[1]。高校は地元バレーの強豪・宮崎県立宮崎工業高等学校へ進学、1年からレギュラーに抜擢され、全日本ユースやジュニアに選ばれている[1]。
2000年に新日鐵(現堺ブレイザーズ)に入部[2]。翌2001年にVリーグ新人賞受賞[2]。全日本では2001年のグラチャンでの活躍で定着、2002年の世界選手権に出場、2001年・04年のワールドリーグに出場した。アテネ五輪予選にも出場するも、五輪本戦出場を果たせなかった。2005年に移籍を決意する[3]。
2005年に旭化成に派遣社員として入社、旭化成スパーキッズへ契約選手として入団する[4]。同年には足首を手術している。しかし、2006年、旭化成は廃部となり移籍することになった[5]。
翌2006年から豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)に所属[2]。2007年には全日本に復帰、07年ワールドリーグに出場した。その後2009年まで在籍した[6]。
2009年からJTサンダーズに入部した[2]。在籍中、貴重なベテラン選手として活躍し、天皇杯・黒鷲旗などの決勝進出に貢献した[7]。2014年、契約満了に伴い退団した[8]。
2015年7月、女子Vプレミアリーグの日立リヴァーレは甲斐のコーチ就任を発表した[9]。2017年、監督に昇格。2018-19シーズン途中で体調不良のため休養となる。シーズン終了後に退団した[10]。
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