Loading AI tools
日本の美術評論家、小説家 (1904-1957) ウィキペディアから
愛知県名古屋市生まれ。本名・勝彦。父は軍人。東海中学校(現・東海中学校・高等学校)卒。冨澤有爲男が中学の先輩にいた。さらに東京植民貿易語学校、川端画学校に学ぶ。
金子光晴、赤松月船に師事して詩作、ついで小茂田清樹に師事して日本画を描く。1930年「猿猴図」が聖徳太子奉賛展で入選。また、正岡容と浪曲の巡業をし、吉井勇に師事してともに関西北陸を放浪[1]。
1936年に放浪生活をやめ[1]、中西悟堂の推薦で美術雑誌『東陽』を編集、美術評論を書く。同誌の創作欄に掲載された冨澤有爲男「地中海」が同1936年、芥川賞を受賞。
1939年、尾崎士郎、尾崎一雄、富沢有為男、大鹿卓、浅野晃、保田與重郎らと同人誌『文藝日本』を創刊[2]。伴鯤太郎の名で小説を書く。『文藝日本』は1945年まで刊行[2]。
戦後は少年少女小説、空手小説など、熱血感動小説で人気があった。『電光空手打ち』は映画化され、高倉健の映画デビュー作となった。
また1953年に『文藝日本』を再刊。同人は佐藤春夫、浅野晃、大鹿卓、榊山潤、外村繁、富沢有為男、中谷孝雄、水谷清らだった[2]。同誌からは柴田錬三郎、伊藤桂一、今日泊亜蘭、尾崎秀樹らが出た[2]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.