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幕末から明治期の浮世絵師 ウィキペディアから
歌川 芳藤(うたがわ よしふじ、文政11年〈1828年〉 - 明治20年〈1887年〉)は、江戸時代から明治時代にかけての浮世絵師。
歌川国芳の門人。本姓は西村、名は藤太郎。歌川の画姓を称し一鵬斎と号す。万延元年(1860年)頃からはよし藤と称した。はじめ本郷春木町に住んでいたが、後に浅草小島町、明治16年から明治20年の頃にかけては浅草北三筋町58に移り住む。嘉永から文久年間に横浜絵のほか美人画、「武者両面合わせ」のような武者絵、はしか絵を描いた。また子供向きの組上絵、玩具絵、双六「東京築地ホテル館図」といったものや、開化絵も数多く描いている。芳藤は玩具絵において丁寧な仕事をしており、「おもちゃ芳藤」と呼ばれた。但しこの玩具絵は子供たちが使用し遊び終われば捨てられるというものであったことにより、大半は消失し現在まで残されているものは極めて少ない。享年60。
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