橘 (桜型駆逐艦)
桜型駆逐艦 ウィキペディアから
橘(たちばな)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、桜型駆逐艦の2番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「橘」があるため、こちらは「橘 (初代)」や「橘I」などと表記される。
艦歴 | |
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計画 | 1907年度[1] |
起工 | 1911年4月29日[1] |
進水 | 1912年1月27日[1] |
就役 | 1912年6月25日[1] |
その後 | 1912年8月28日二等駆逐艦[1] 1933年1月1日廃駆逐艦第5号と仮称[1] |
除籍 | 1932年4月1日[1] |
廃船 | 1936年5月28日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:公表値 530トン 常備:計画 600トン[注釈 1] |
全長 | 全長:83.51m 水線長:82.29m[注釈 2] 垂線間長:260 ft 0 in (79.25 m) |
全幅 | 24 ft 0+3⁄8 in (7.32 m) |
吃水 | 7 ft 3 in (2.21 m) |
深さ | 4.65m |
機関 | 推進:3軸 x 390rpm 主機:直立4気筒3段レシプロ 3基 出力:計画 9,500実馬力[注釈 3] ボイラー:イ号艦本式缶(混焼) 5基[注釈 4] |
最大速力 | 計画: 30ノット 1931年時 31ノット |
燃料 | 重油30トン、石炭226トン |
航続距離 | 2,400カイリ / 15ノット |
乗員 | 竣工時定員:92名[2] 1928年公表値 96名 |
兵装 | 40口径四一式4.7インチ(12cm)砲 1門 40口径四一式3インチ(8cm)砲 4門 四二式5号18インチ(45cm)連装発射管 2基4門 |
搭載艇 | 4隻 |
備考 | ※トンは英トン |
艦歴
1911年(明治44年)4月29日、舞鶴海軍工廠で起工[3]、1912年(明治45年)1月27日、進水[3][4]。同年6月25日、竣工[3][5]。
1919年(大正8年)から1925年(大正14年)まで華南、華北の沿岸警備に従事した[1]。
1932年(昭和7年)4月1日除籍。1933年(昭和8年)1月1日、廃駆逐艦第5号(二代)と仮称[1][6]。1936年(昭和11年)5月28日、廃船。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 樺山信之 少佐:1912年4月5日 - 1913年12月1日
- *兼舞鶴海軍工廠艤装員(1912年4月5日 - 6月25日)
- 館明次郎 少佐:1913年12月1日 - 1914年8月15日
- 福岡成一 少佐:不詳 - 1915年12月13日
- 園田義治 少佐:1915年12月13日 - 1916年1月28日
- 砥川三郎 少佐:1916年1月28日 - 1916年6月1日
- 柘植道二 少佐:1916年6月1日 - 9月12日
- 神谷京 少佐:1916年9月12日 - 1917年12月1日[7]
- 村上正之助 少佐:1917年12月1日[7] - 1918年12月1日[8]
- 赤沢堅三郎 大尉:1918年12月1日[8] - 1919年12月1日[9]
- 高山忠三 少佐:1919年12月1日[9] - 1921年1月7日[10]
- (兼)荒糺 少佐:1921年1月7日 - 7月26日
- 藤田寅治 少佐:1921年7月26日[11] - 12月1日[12]
- 谷田武夫 少佐:1921年12月1日[12] - 1922年3月20日[13]
- 一ノ瀬英太 少佐:1922年3月20日[13] - 1923年11月1日[14]
- (心得)佐藤慶蔵 大尉:1923年11月1日[14] - 12月1日[15]
- 佐藤慶蔵 少佐:1923年12月1日[15] - 1925年5月1日[16]
- 直塚八郎 少佐:1925年5月1日 - 1925年12月1日
- 直塚八郎 少佐:不詳 - 1926年2月5日[17]
- (兼)樋口通達 少佐:1926年2月5日[17] - 8月1日[18]
- (兼)池田七郎 少佐:1926年8月1日[18] - 12月1日[19]
- 秋山輝男 少佐:1926年12月1日 - 1928年1月20日
- 河西虎三 少佐:1928年1月20日[20] - 12月10日[21]
- 高橋一松 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月1日
- (兼)板倉得止 少佐:1929年11月1日 - 1929年11月30日
- (兼)加瀬三郎 少佐:1929年11月30日 - 1931年4月1日
脚注
参考文献
関連項目
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