東郷松崎町
日本の鳥取県東伯郡にあった町 ウィキペディアから
東郷松崎町(とうごうまつざきちょう)は、鳥取県中部の東伯郡に属していた町。
とうごうまつざきちょう 東郷松崎町 | |
---|---|
廃止日 | 1953年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 東郷松崎町、花見村、舎人村 → 東郷町 |
現在の自治体 | 湯梨浜町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 東伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 18.35 km2. |
総人口 |
4,417人 ([1]、1952年) |
隣接自治体 |
舎人村、花見村、三徳村 気高郡勝部村 |
東郷松崎町役場 | |
所在地 |
鳥取県東伯郡東郷松崎町大字松崎字田町281-1[1] |
座標 | 北緯35度28分20秒 東経133度54分20秒 |
特記事項 | 町役場は旧東郷村松崎村組合役場を引き続き使用。東郷町発足後も1972年に龍島に移転するまで使用された[1]。 |
ウィキプロジェクト |
概要
1952年(昭和27年)当時、世帯数821、人口4,417人、面積18.35km2。役場は同町松崎字「田町」281‐1にあり、1951年(昭和26年)3月1日に戦後の県内市町村合併第1号として東郷村と松崎村が合併して誕生した[1]。東郷町誕生の前段階となる町で存在期間は短く、1953年(昭和28年)4月1日に花見村、舎人村と合併して東郷町が成立し消滅した。
合併前の動きから成立、消滅までの年表
新町名に関しての対立とその原因
- 明治の町村制実施以降、組合村役場、組合会(両村による共同の村議会)、組合(村)長を設けるなど非常に深い関係にあった両村だが新町名決定に関しては互いの村の感情により対立し合うことになった。
- 対立の原因としては、近世より周辺地域の商業・交通の中心として栄えた松崎村と松崎村よりも広い面積、多い人口を持つ東郷村の両方にあったプライドが元となった住民感情が考えられる。
行政
町長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 山枡忠興 | 1951年(昭和26年)3月31日 | 1953年(昭和28年)3月31日 | 前・東郷村松崎村組合長 |
参考文献 - [1] |
交通
参考文献
- 東郷町誌
- 羽合町史後編
- 鳥取県史近代第一巻総説篇
- 角川日本地名大辞典31 鳥取県
脚注
関連項目
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