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日本の声楽家(ソプラノ歌手) ウィキペディアから
東 敦子(あずま あつこ、1936年(昭和11年)12月11日[1] - 1999年(平成11年)12月25日[1])は、日本の声楽家(ソプラノ歌手)、オペラ歌手、音楽教育者。プリマドンナとして世界の一流の歌劇場で活躍した。本名は、二田原 敦子(にたはら あつこ)[1]。
大阪府吹田市出身[1]。1959年(昭和34年)東京藝術大学卒業[1]。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了[1]。四家文子に師事。1961年(昭和36年)イタリアに留学してエットレ・カンポガリアーニに師事。1964年(昭和39年)パルマ音楽院を首席[2]で卒業[1]。
1963年(昭和38年)レッジョ・エミリア市立歌劇場でマスカーニ『友人フリッツ』で[2]デビュー[3]。ミラノに居を構え[4]、1967年(昭和42年)ベルリン・ドイツ・オペラにプッチーニ『蝶々夫人』でデビュー。1971年(昭和46年)ウィーン国立歌劇場に『蝶々夫人』で出演(日本人で初めて)[5]。その成功により翌1972年(昭和47年)ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューし、世界の檜舞台でプリマドンナとして確固たる地位を築いた[3][6]。1978年(昭和53年)にはボリショイ劇場でプッチーニ『蝶々夫人』のタイトルロール(日本人で初めて)[1]。ほかにもバイエルン国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場、プラハ国立歌劇場、モンテカルロ王立歌劇場[5]、ブエノスアイレスのテアトロ・コロン、ベルリン国立歌劇場、ドレスデン国立歌劇場[2]など20余国、90の歌劇場でプリマドンナとして活躍[4]。蝶々さんは世界一[1]といわれ、20数ヶ国で約500回主演[1]し、「バタフライ・アズマ」とも呼ばれた[2]という。この間、日本にたびたび一時帰国し、1968年(昭和43年)に藤原歌劇団でヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタ、1973年(昭和48年)に佐々木忠次の招聘・制作[4]により『蝶々夫人』、1977年(昭和52年)に再び藤原歌劇団で『椿姫』ヴィオレッタで主演している[7]。
1978年(昭和53年)以後、日本に本拠を移し、NBS日本舞台芸術振興会に所属[8]。藤原歌劇団を主舞台にして『ボエーム』『蝶々夫人』『椿姫』『トスカ』などに出演。全て主役である。1980年(昭和55年)アキレ・ペーリ国際音楽コンクールに東敦子賞が設けられた[1]。1987年(昭和62年)1月オペラ界から引退、以後は歌曲公演やテレビ出演のほか、後進の指導にあたる。同年新進声楽家育成のためグローバル東敦子賞が創設された[1]。
音楽教育者としては、東京音楽大学教授[9](死去時は客員教授)[10]、玉川大学客員教授[9]、東京藝術大学非常勤講師、 大分県立芸術短期大学非常勤講師[10]を務めた。門下生に佐野成宏、斉田正子、池田理代子[11]などがいる。
昭和音楽大学オペラ情報センターの記録[7]による。
2000年11 - 12月、玉川大学に寄贈された遺品により「プリマドンナ東敦子の世界展」が開催された[2]。
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