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弦楽四重奏曲第2番 ニ長調は、アレクサンドル・ボロディンが1881年にジトヴォで作曲した弦楽四重奏曲。「夜想曲」として知られる第3楽章「ノットゥルノ」が有名。
本作は、ボロディンの作品の中でも特に親しまれているもののひとつであり、また、19世紀のロシア帝国を代表する室内楽曲のひとつでもあるが、ボロディンの伝記作家であるセルジュ・ディアニン(Serge Dianin)など一部の音楽学者は本作が、ボロディンが妻エカテリーナ・セルゲイエヴナ・プロトポポーヴァに愛を告白した20周年の記念に作曲されたものであると推測しており[1]、妻に献呈されている。
前作『第1番 イ長調』は、第1楽章から第3楽章に渡ってベートーヴェンの『弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調』のフィナーレの主題が用いられ、その他にもシューベルトやメンデルスゾーンなどのドイツ系の作品からの影響も色濃いため、ウラディーミル・スターソフやボロディンと同じくロシア5人組に属するモデスト・ムソルグスキーなどからは「ロシア国民楽派の信条に反する」と強い非難を浴びたが、本作は従来の弦楽四重奏曲の様式を踏まえつつも、楽器の持つ特性を活かしながらロシア的な要素も融合させ、親しみのある優れた作品に仕上げている。
また、ボロディンは本職が化学者であったために作曲に割ける時間があまりなく、前作が完成までに足掛け5年を要したのに対し、本作は1881年7月23日に着手し、同年9月19日に完成するという、ボロディンにしては異例のスピードで書き上げられている。
初演は完成の翌年の1882年2月7日(または3月9日)に、サンクトペテルブルクで開催されたロシア音楽協会の演奏会で、前作を初演したガルキン弦楽四重奏団によって行われた。また、同年12月23日には、レオポルト・アウアーが率いる弦楽四重奏団によって再演された。
楽譜はボロディンの生前には出版されず、ボロディンが亡くなった翌年の1888年に、ライプツィヒのベリャーエフ社から出版された。
全4楽章、演奏時間は約30分。
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