Loading AI tools
ウィキペディアから
山口 弘達(やまぐち ひろよし)は、常陸牛久藩の第12代(最後)の藩主。のちに子爵。
万延元年(1860年)3月23日、第11代藩主山口弘敞の長男として生まれる。文久2年(1862年)8月6日、父が死去したため、わずか3歳で家督を継いだ。慶応4年(1868年)2月20日、幼少のために重臣を上洛させて、恭順の姿勢を示した。戊辰戦争で藩は新政府に与し、龍ヶ崎や水海道へ出兵する。同年10月5日、上洛する。明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事(家禄370石)となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官、11月まで牛久県知事を務めた。
明治5年(1872年)、旧藩の債務のうち2779両を私債として引き受ける。明治17年(1884年)、子爵。以後、学習院の教授を務める。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に選ばれ[1]、大正14年(1925年)7月10月まで5期務めた[1]。昭和7年(1932年)7月18日に死去した。享年73。
父母
妻
子女
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.