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王族、皇族などの君主およびその一族が居住する御殿 ウィキペディアから
宮殿(きゅうでん)は、王族、皇族などの君主およびその一族が居住する、もしくは居住していた御殿。東アジアの場合、君主が政務や外国使節の謁見、国家的な儀式などを行う外朝部分と、君主が私的な生活を行う内廷部分に分かれる[1][2]。中世ヨーロッパにおいては戦士階級と世俗君主階級が一体化していたため、城壁に囲まれた城砦の中に国王や領主が居住し、君主が住み政治的機能を有する城砦を宮殿と同時に呼ぶことが一般的であった。しかし、時代の変遷とともに城砦形式の有効性が低下したことなどから、防衛機能より見た目の豪華さ、壮大さや居住性を重視して、都市の中に建設されるようになった。ヨーロッパ大陸諸国では都市の中に建てられた貴族の壮麗な邸宅を指すことがある。ヨーロッパ諸語における「Palace(英)」、「Palast(独)」「 Palais(仏)」、「Palazzo(伊)」という表現は、古代ローマのローマの七丘の一つである「Palatinus Mons(パラティーノ)」に由来する。この丘にローマ貴族の多くが邸宅を建て、初代皇帝も居住したことによる。
日本においては戦士階級武士に対して、天皇の形式上の地位が保たれていたことから、天皇の住居のみが宮殿と呼ばれ、武士の住居および軍事的基地である城砦とは明確に区別される。日本語の「御所」は「宮殿」と共に英語のPalaceに意味が近い。イタリア語のPalazzoは宮殿というより単に大邸宅を指す語となっている。
また、歴代天皇最大の古墳である仁徳天皇の皇居、 難波高津宮 - 古墳時代など、近畿地方は数多くの宮跡が存在する。
5300年前の河洛古国の宮殿から後代まで、南に公的な建物・北に生活する建物にする「前朝後寝」様式、一つの城門に道を三つ設ける「一門三道」の様式などがある[3][4]。出入口を五門、政治をする場所として燕朝・治朝・外朝の三朝とする「三朝五门」という様式もある[5]。
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