大黒寺 (京都市伏見区)
京都府京都市伏見区にある寺院 ウィキペディアから
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大黒寺(だいこくじ)は、京都府京都市伏見区鷹匠町にある、真言宗東寺派の寺院である。通称は薩摩寺(さつまでら)[1]。
大黒寺 | |
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所在地 | 京都市伏見区鷹匠町4 |
位置 | 北緯34度56分13.2秒 東経135度45分38.9秒 |
山号 | 円通山 |
宗派 | 真言宗東寺派 |
本尊 | 大黒天 |
創建年 | 元和元年(1615年) |
開基 | 島津義弘 |
正式名 | 円通寺(圓通寺) |
別称 | 薩摩寺 |
札所等 |
京都六大黒天霊場(第6番札所) 伏見五福めぐり 伏見七福神 |
法人番号 | 4130005001786 |
開創は空海[2]とも真如[3]とも伝えられる真言宗の寺で、もとは長福寺と称した。
元和元年(1615年)、薩摩藩主島津義弘が、薩摩藩邸からも近いこの寺を藩の祈祷所とすべく、伏見奉行山口駿河守に懇願したことで、寺名は薩摩の守り本尊「出世大黒天」にちなみ「大黒寺」とされ、本尊は大黒天となった。ただ、当時より一般には「薩摩寺」の通り名で呼ばれていたという。爾来、薩摩藩ゆかりの寺となる。
幕末期には志士達の密儀がたびたび寺内で行われていたという[2]。寺田屋事件の九烈士もこの地に葬られており、遺品や書・歌などが今でも寺内に保管されているほか、西郷隆盛、大久保利通らの会談の部屋もそのまま残されている[3]。また、近代になり平田靱負の墓所が移設されている。1752年から1755年に薩摩藩が担当した木曽川・長良川・揖斐川の治水工事では工事途中で流されたこと影響などもあり300万両もの巨額な費用がかかった。その責任をとって薩摩藩家老の平田靱負は自刃した[3]。
屋根瓦には、藩主島津家の家紋である丸に十字があしらわれている。
幽霊子育飴伝説がある。幽霊とは八代美津女(やしろ・みつめ)(田尻稲次郎の兄嫁)のことであり、大黒寺ではその位牌を祀っている[4]。
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