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『大日本国法華験記』[1](だいにほんこくほっけげんき)は、平安時代中期に書かれた仏教説話集。通称『法華験記』。著者は比叡山の僧鎮源(伝不詳)。上・中・下の3巻からなる[1]。『本朝法華験記』(ほんちょうほっけげんき)[2]、『大日本国法華経験記』[3][4](だいにほんこくほけきょうげんき)[4]とも。
序文によれば、本書は長久年間(1040年-1044年)に首楞厳院(比叡山の横川中堂)の鎮源が書いたもの[2][3]。鎮源は、新羅の義寂(7世紀後半から8世紀初め)が書いた『法華験記』(現存せず、その抄本とみられる『法華経集験記』が現存する)[5]もしくは宋の義寂に[6] 触発され、その日本版として本書を著したという。
本書は法華経持経者らの伝記集。伝記の多くは法華経にまつわる霊験譚を含む。上、中、下3巻の計129の伝が、菩薩(聖徳太子と行基)、比丘(最澄、円仁をはじめとする僧)、在家沙弥(剃髪して沙弥戒を受けた在家者)、比丘尼(尼僧)、優婆塞(俗人の男性信者)、優婆夷(俗人の女性信者)、異類(蛇、猿など人間以外のもの)の順に並んでいる[2]。こうした構成は、先行する往生伝の『日本往生極楽記』とほぼ同じだが、異類の部が加わる点は本書の特色である。
本書は『日本往生極楽記』および『三宝絵』に依拠するところが大きい。本書の聖徳太子伝など10の伝記は『日本往生極楽記』から採られたことが明らかである。また、『日本霊異記』の説話と内容が一致するものが6例あり、「霊異記に見ゆ」といった注が付されているが、それらは注の記述も含め『三宝絵』から採られたことが明らかになっている。このほか、『叡山大師伝』や『慈覚大師伝』といった僧伝も用いられている。
一方、相応伝、性空伝、源信伝に関しては、先行する伝記が存在するにもかかわらず、それを素材とせず自己の見聞・知識によって書かれているとみられる。口伝や自己の体験を重んじている点は本書の特色といえる。なお、著者の創作と推定されているものもいくつかある。
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