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日本の陸軍軍人 ウィキペディアから
大内 孜(おおうち つとむ、1893年(明治26年)1月2日[1][2] - 1939年(昭和14年)7月4日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
宮城県出身[1][2][3]。軍人・大内則義の息子として生まれる[1]。陸軍中央幼年学校予科、中央幼年学校本科を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業し[2]、同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第2連隊付となる[1][4]。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した[1][2][3]。
1923年(大正12年)12月、陸軍省軍務局付勤務となる[1]。以後、軍務局課員、関東軍司令部付(支那馬調査班)、同(南満州鉄道嘱託)、陸軍兵器本廠付(新聞班)を務め、1929年(昭和4年)8月、騎兵少佐に昇進[1]。1930年(昭和5年)12月から1931年(昭和6年)11月まで陸大で専攻学生として学んだ[1]。陸軍騎兵学校教官を経て、1932年(昭和7年)2月から同年5月まで上海派遣軍参謀として第一次上海事変に出征した[1]。
1933年(昭和8年)8月、騎兵中佐に進みラトビア公使館付武官となる[1][3]。参謀本部付、騎兵集団参謀長、騎兵学校教官などを経て、1937年(昭和12年)8月、騎兵大佐に進級し留守第5師団参謀長に就任[1][2][3]。1938年(昭和13年)7月、第23師団参謀長に転じ、1939年(昭和14年)のノモンハン事件に出動し、同年7月、空爆により戦死し陸軍少将に進級した[1][2][3]。
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