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日本の歌舞伎役者 ウィキペディアから
六代目 坂東彦三郎(ろくだいめ ばんどう ひこさぶろう、1886年(明治19年)10月12日 - 1938年(昭和13年)12月28日)は、歌舞伎役者。屋号は音羽屋、定紋は鶴の丸、替紋は八重片喰。俳名には薪水・梅朝・楽善など。本名は坂東 英造(ばんどう えいぞう)。
五代目尾上菊五郎と元柳橋の芸者で権妻の秋田ぎん(1926年8月31日没)との間の三男として東京・日本橋浜町に生まれる[2]。1896年(明治29年)1月、尾上英造を名乗って初舞台。1903年(明治36年)3月、九代目市川團十郎のひきにより歌舞伎座で六代目尾上榮三郎を襲名した。その6年後には五代目坂東彦三郎家の養子となり、1915年(大正4年)4月市村座で六代目坂東彦三郎を襲名。以後も一貫して兄の六代目尾上菊五郎一座で脇役として活躍した。
技巧に走らない、風格の大きい芸風だった。
歌舞伎役者としてだけでなく、時計愛好家としても知られ、以下のようなエピソードが伝わる。
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