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日本のヴァイオリニスト ウィキペディアから
原田 幸一郎(はらだ こういちろう、1945年4月29日 - )は、日本のヴァイオリニスト、指揮者。
8歳でヴァイオリニストとしてデビュー。1961年、桐朋女子高等学校音楽科に入学し、西村新太郎、宗倫安、鷲見三郎、斎藤秀雄らに師事したが、すぐにジュリアード音楽院に留学し、ポール・マカノヴィツキー、ドロシー・ディレイ、イヴァン・ガラミアンらに師事した。1965年、第34回日本音楽コンクールで第2位に入賞した。
1969年、磯村和英、原田禎夫らと東京クヮルテットを結成、12年間第1ヴァイオリンを務めた。1970年、コールマン室内楽コンクール第1位を獲得、ミュンヘン国際音楽コンクール弦楽四重奏部門で第1位を獲得した。世界各国に演奏旅行し、国際的な評価を得る。ドイツ・グラモフォン、CBS、RCA、ヴァンガードに録音を残し、スイス、モントルーのグランプリ・ディスクを受賞、グラミー賞にもノミネートされた。
1981年、東京クヮルテットを退団し以降、イタリアのスポレト音楽祭、クリーヴランド音楽院ヴァイオリン科主任教授、エール音楽院音楽部付きの四重奏団、アスペン音楽院などに招かれた。
1983年、日本に戻り、野島稔(ピアノ)、毛利伯郎(チェロ)と東京ピアノ・トリオを結成。1986年、数住岸子(ヴァイオリン)と共に室内楽シリーズ「NADA」(ナーダ)の企画をスタートした。1990年、水戸カルテット、ATMアンサンブルを結成した。フォーバルスカラシップ・ストラディヴァリウス・コンクール審査委員。
日本国内で指揮活動も行い、九州交響楽団でデビュー。新日本フィルハーモニー交響楽団、紀尾井シンフォニエッタ東京、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団、京都市交響楽団、広島交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団などを指揮。1999年4月には、ニューヨークでも指揮デビューを果たした。
桐朋学園大学音楽学部副部長。マンハッタン音楽院ファカルティ
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