中山信政
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中山 信政(なかやま のぶまさ、文禄元年(1592年) - 延宝5年10月28日(1677年11月22日))は、常陸松岡藩の第2代当主。幕臣から水戸藩附家老・中山家2代。初代当主・中山信吉の長男。母は久下氏。正室は向井正綱の娘。子は娘(中山某室)。官位は従五位下・市正。
文禄元年(1592年)、水戸徳川家家臣だった父・信吉の嫡子として生まれる。大膳を称し、慶長14年(1609年)、16歳で徳川秀忠に仕え、小姓組に属し500俵を与えられる。大坂の陣には冬・夏ともに参戦した。寛永3年(1626年)、徳川家光の上洛にも幕臣として供奉した。寛永5年(1628年)11月、父の主君である水戸藩主・徳川頼房に仕え家老となり、寛永11年(1634年)7月22日、従五位下・市正に叙任。寛永19年(1642年)の父の死で家督を相続した。2月には頼房の子松平頼重が分家を設立した際に、讃岐国高松城を受領するために派遣された[1]。
男子がなかったため、慶安4年(1651年)に弟の信治に家督を譲って隠居した。延宝5年(1677年)没した。墓所は埼玉県飯能市中山の智観寺。
信政の代には、領地が常陸国松岡に移された。
父母
正室
子女
養子
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