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日本のジャーナリスト・教育者 ウィキペディアから
上田 庄三郎(うえだ しょうざぶろう、1894年(明治27年)11月10日 - 1958年(昭和33年)10月19日)は、日本の教員、教育評論家である。
高知県幡多郡三崎町(現土佐清水市)出身。高知師範学校(現高知大学教育学部)卒業。
高知県下の小学校教師・校長を経て1925年に上京。生活綴方運動に参加、1929年雑誌『綴方生活』同人となり、1931年には雑誌『観念工場』を創刊・主宰した。大正自由教育運動を果敢に実践し、池袋児童の村小学校を手本として、神奈川県茅ケ崎の雲雀岡(ひばりがおか)児童の村小学校校長を務めた[1]。戦後、「日本教育新聞」編集局長などを務めた。
戦前戦後の教育界に鋭い議論を展開し、特に教師論で多くの理解者・支持者を得た[2]。『上田庄三郎著作集』全6巻(国土社)がある。
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