ロッシュフルシャ

フランス、ドローム県のコミューン ウィキペディアから

ロッシュフルシャ

ロッシュフルシャ(Rochefourchat)は、フランス共和国南東部、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ドローム県にあるコミューン。コミューンには1軒の家、1つの改装された小屋、古城の廃墟が1城ある。近隣のコミューンはサン=ナゼール=ル=デゼール英語版レ=トニル英語版プラデル英語版ブレット英語版である。

概要 ロッシュフルシャ, 行政 ...
ロッシュフルシャ
Thumb
行政
フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) ドローム県
(arrondissement) ディー郡英語版
小郡 (canton) La Motte-Chalancon
INSEEコード 26274
郵便番号 26340
市長任期 Jean-Baptiste Le Moyne de Martigny
(20082014)
人口動態
人口 1人
(2021)
人口密度 0.078人/km2
地理
座標 北緯44度35分58秒 東経5度14分53秒
標高 平均:963
最低:600
最高:1513
面積 12.74km2
Thumb
ロッシュフルシャ
テンプレートを表示
閉じる
Thumb
ロッシュフルシャの地図

ロッシュフルシャの人口は2021年時点1人であり[1]、フランスのコミューンで最小である[2]第一次世界大戦で破壊され無人となった6コミューン(en)を除く)。

2024年3月、隣のJosetteより2人が近々ロッシュフルシャに転入する予定であると報道された[3]。もしロッシュフルシャの人口が3人となった場合、フランス最小のコミューンはムルト=エ=モゼル県Leménil-Mitry(2021年時点の人口は2人[4])になると予想されている[3]

歴史

1178年神聖ローマ皇帝に対する要塞として、ディー司教によってロッシャ・フォルシャ城(Rocha Forcha)が築かれた。1766年に最後の領主レ・ド・ノワンヴィル(Rey de Noinville)が死去するまで、フランス人領主が城を治めた。1796年にフランス人商人のピエール・ジョソー(Pierre Jossaud)が城の周りの土地を買収し、ロッシュフルシャと名付けた。以降、このコミューンはジョソー家に受け継がれていった。

政治

人口は1人であるが、9人の議員からなる議会が置かれている[5]。議員は全員ロッシュフルシャの住民ではない。2010年の予算は18,704ユーロであった[6]。村長はパリに住む[7]

人口動態

フランスは愛郷心が強く、コミューンの数は時代を経てもほとんど変化しないため、歴史的な背景をもった数多くの小規模なコミューンが多く残っており、その4分の1は人口2,000人に満たない[2]。中でもロッシュフルシャの人口は、わずか1人である[2]

さらに見る 人口推移, 年 ...
人口推移
人口±%
1806221    
191164−71.0%
195031−51.6%
196214−54.8%
19686−57.1%
19752−66.7%
19823+50.0%
19902−33.3%
19991−50.0%
20071+0.0%
[1] 20151+0.0%
[1] 20211+0.0%
[1]     
閉じる

人口の出典:INSEE

脚注

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.