Loading AI tools
ウィキペディアから
ロダ写本(ロダしゃほん、スペイン語: Códice de Roda)またはメヤ写本 (Códice de Meyá) は、中世の写本で、9世紀から10世紀初頭のナバラ王国と近隣の諸侯領の詳細に関する唯一の資料である。現在はスペイン歴史アカデミーのMS 78文書としてマドリードで保管されている[1]。
ロダ写本は10世紀後半のものと考えられているが、11世紀以降の追記があり、ナバラのおそらくナヘラで編纂され、筆記体の傍注とともにいくつかの異なる筆跡により西ゴート筆記体の小文字で書かれている。大きさは205 mm×285 mmで、232枚からなる[1]。写本は12世紀にはナヘラで保管され、その後17世紀末にロダ・デ・イサベナの大聖堂の保管庫に保管されたようである。18世紀にはサンタ・マリア・デ・メヤ修道院長が手に入れ、個人の手に渡った。その後、1928年に現物の写本が再発見されるまで、学術界は複写本と派生写本しか利用できなかった[2]。
写本は、独自の資料と、よく知られている古代および中世の文書の複写からなる。編集の最初の3分の2は、オロシウスの『異教徒に反駁する歴史』を複製したものである。また、セビリアのイシドールスの『ゴート・ヴァンダル・スエウィ王国史』、『Chronica Prophetica(預言年代記)』[3]、『Historia de Melchisedech(メルキゼデクの歴史)』[4]、『Storia de Mahometh(マホメットの物語)』、『Tultusceptru de libro domni Metobii(メトビウス卿の書)』および『イエスの系譜』も重要である。独自の資料には、アラブの支配者およびアストゥリアス=レオン、ナバラ、フランスのキリスト教国の王の一覧などがある。また、レオデグンディア・オルドーニェスを称える聖歌も含まれている[1][2]。
このように多様な資料の中で、最もよく知られているものはピレネー山脈の両側を支配する王朝の系図である[2][5]。これらの王朝の歴史的記録はわずかしか現存しないが、ロダ写本の系図はこれらの記録を理解する上で重要な役割を果たしてきた。王朝の記録は5世代にも及び、10世紀前半にまでさかのぼることができる。これらには、パンプローナの支配者であるイニゴ家とヒメノ家、およびアラゴン、ソブラルベ、リバゴルサ、パリャルス、トゥールーズ、ガスコーニュの諸侯の家系が含まれる。これらの系図にはイブン・ハズムの作品との類似性が見られることから、エブロ川流域のアル=アンダルスのイスラム教徒の下で作成され、写本が編集された時にナバラに渡されたのではないかとの説が最近唱えられている[2][5]。
写本は、標題別に次のテキストで構成されている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.