リョーマ (ベンチャー)

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株式会社リョーマは、かつて1987年から1992年まで存在した、大阪府大阪市淀川区にあったプロモーション会社。当時、関西の現役大学生を中心としたベンチャー企業として話題になった[1]。創業2年で売上5億円を達成した[1]が、1992年に経営破綻した。

リョーマに関わった学生には、のちに起業家・経営者となったものが多い[2]。リクルートを主に担当していた加藤順彦は、リョーマの学生スタッフを集めるにあたって、「全員が将来社長をめざす、梁山泊のような組織を目指している」という口上を用いていたという[3]

沿革

  • 1989年4月[要出典] 学生サークル情報誌を独自ブランド「OMOLOGUE」(オモローグ)にて東京・大阪にて発行[8]。東京版は真田哲弥、金野策一らが企画した株式会社東洋センカ(1991年にセンカ・コミュニケーションズに社名変更)による在京の大学生組織SYNに委託。
  • 1989年9月 玉置真理(のちのザッパラス社長)、真田、西山らによって株式会社ダイヤル・キュー・ネットワーク設立(社長は玉置)[6]。同社には山下伸一郎、杉山全功加藤順彦 など多くのリョーマ関係者が関わった
  • 1991年4月 代表取締役社長に林圭介が就任[要出典]
  • 1992年9月[2] 経営破綻

脚注

参考資料

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